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【遺書日報】2020年9月30日

相談することの難しさについてメモ。


このツイートを拝見して、「なるほど!」と合点がいった。
自分も以前、心身ともにかなりあちゃーしている際に、「もっと辛い思いをしている人がいるんだから頑張れ!甘いよ!」的なニュアンスの激励をいただき、大変申し訳ないが「今はそういうの、ガチでめちゃくちゃ要らんわ」と思った。トドメにはならなかったにせよ、切れ味はかなり良かった。


相談する相手は気を付けた方が良い。

たとえ肉親であろうと、無自覚に心を引き裂いてくる恐れはある。


そこでふと考えたことが、自死を考えるほどの苦しみはどこから生成されるのか、である。

苦しんでいる人からストレッサーと思しきものさえ取り除けば万事解決!ということは、往々にして少ない。
「相談したら引き裂かれた」パターンを考慮すると、苦しんでいる人の脳内が「周囲から理解を得られない」という思いでいっぱいになってしまい、孤立無援でどうしようもできないと感じ、自死するほどまで追いつめられるのではないか。

ストレッサー+孤立無援感=現状を改善する余地を見いだせない状態→自死を考える

という構造が考えられる。
苦しんでいる人がストレッサーから距離を置けたとしても、孤立無援感を拭えなければ、ずっと辛い思いを抱えて生きなければならない。

「嫌なことしなくて良くなったんだから大丈夫でしょ、はい、終わり、これで健康ハッピーです」ではないんじゃないのかなぁ。たぶん。
やはり、「自分が困った時には誰かが支援の手を差し伸べてくれる、しかもそれなりに長期に渡って」という安心感が重要なのではないかと思う。

あくまでも自分が勝手にそう思っているだけなので、絶対にこれが当てはまる!というわけではないです。たぶん当てはまらないケースもいっぱいあるだろうし……。


個人的には、辛くてどうしようもなくなった際に、「無垢」な他者から心を引き裂かれないように身構えつつも、全力で支援の方向にダッシュできるような社会設計だと良いな~と思います。どんな社会なんですかね、それは。


これにて、本日の日報は終わりです。

自分も知らず知らずのうちに、他者の心を引き裂いているのだと思うと、言葉にできない思いが湧いてきます。

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