【遺書日報】2020年8月27日

遺書日報も天下晴れて(?)2日目を迎えた。非常にめでたい。

昨日一日は遺書日報に何を書こうかとウキウキしながら労働に精を出した。楽しみのある暮らしというのは良いものである。


さて、では何を書こう……とかれこれ1時間近く悩んだような気がする。気がするだけで、実際は賞味期限の切れた「焼きまんじゅう」をおっかなびっくり調理して食べていただけなのですが。

大切にしすぎると身動きがとりづらくなって、結局のところどうでも良くなってしまうのが、良くない。好きになりすぎず、期待しすぎず、大切にしすぎない。これを基本原則として生きていきたい。

こんなことを考えるときにふと思い出すのが、服飾の類いを意気揚々と買う行為である(素直にショッピングって言ったら良いのに)。

がっつり気合を入れて時間も金もかけて購入したものは、汚れたらどうしよう……という不安に負けて上手く活用できないことが多い。反対に、とりあえずでぱっと買ったものは、長年の付き合いになることがままある。

前者について思いをめぐらすと、ぶっちゃけ「買ったときがピーク」なのだろう。そして、後者は使うことに意識が向きやすいのだろう。


「まあこんなもんだろう」という態度はまさに「適当」。丁度良い塩梅。

この遺書日報も根詰めすぎないように「適当」に書き続けていきたい。


また、ふと思い出したのが、鬼頭莫宏先生の『ぼくらの』に出てくるセリフ。

ベストを求めるな、ベターを求めろ。

田中さんがキリエに対して贈った言葉である。

「人はいつも一番いいものや一番いいことを選ぼうとして、迷って行動できなくなったり、後から後悔したりするでしょ。」

それな~~~~~~~~~~~~~~~。それすぎる~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~。

ベストを求めると、求めるが故によろしくない感じになってしまう。

ベターをやっていきたいですね。それもまた難しいのだけれど。


というわけで、『ぼくらの』6巻からの抜粋でした。


『ぼくらの』は完全版が発売中ですので、是非に。


『ぼくらの』とは、丁度、どんぴしゃ、中学1年生の時に出会って、多大な影響を受けた。特に死生観。

今現在の私が抱いている死生観と、当時中学生で『ぼくらの』の影響をもろに受けていた自分の死生観は大分違うような気がする。

当時から強めの希死念慮と良好なお付き合いを続けているので、その点は相変わらずという感じかもしれない。



え、もう、5時じゃん。嘘かよ。



死生観については、明日書こう。

ベストを求めずにベター、この場合は睡眠を求めるべき。

とはいえ、きちんと文章化できるような死生観を現在の私が持っているか、かなり怪しい。

「生存つらつらっぴっぴすぎて死んじゃうぴょんぴょこぴょーん」程度のことしか書けない気がする。まあ、いっか。


これにて、本日の日報は終わりです。

2日目にして、既にダメそうな匂いが立ち込めている。芳しい。

読み返したときに「は~~~~~~~~~~~~おもんな」となりそうだけれども、遺書に面白さ求めるのもズレている気がするので、これはこれで。こういう路線ということで。これが私のベターなので。

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