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【遺書日報_セカンドシーズン】2021年3月26日

こんばんは。今日も書きます。


ライフハックがちょっとずつ溜まっていき、ホクホクしている今日この頃です。


発達障害傾向のある人は強みを活かそうという助言をよく耳にすると、以前日報で書きました。

この助言は素晴らしいと感じる反面、強みは頑強な土台の上に輝くものではないかなという思いが頭をもたげます。

社会で生きていくうえで、人との関わりを断つことは難しいと思っています。人との関係構築において、信頼を得ることは重要性が高いとも思っています。


ここ最近、過剰適応にならないように目配りをしながらも、「普通」の社会生活を営むことに力を入れても良いんじゃないかなと考えるようになりました。

人から信頼されるためにどうすると良いかを考えた際に、「普通」をちゃんとやることの重みをひしひしと感じるようになったのだと思います。

ある日突然超人的な能力とカリスマ性を手に入れ、周囲の人から受け入れられてもてはやされるようになれば、細々とした生活のアレコレに手を尽くす必要はないのかもしれません。思うままにふるまっても、困ったところもあるけど凄い人だからしょうがないよねと、多くの他者からリスペクトされ受け入れてもらえる存在になるかもしれません。

しかし、そんな突然は待っていても永遠に来ないかもしれない。そうであれば、私は私自身を信じて確実と思われる努力を日々積み重ねたい。要するに、より確率の高い方にベットしたいだけです。



ADHDの強みとして「行動力がある」「発想力がある」などが挙げられますが、人それぞれ症状が違うので一概にADHD傾向を持つ人全員に当てはまるかと言うと、決してそうではないと私は思います。

でも、「これはほぼ確実に定型発達と呼ばれる人々より勝ってるやろ」と思うものがあります。

それは、人生における失敗の数です。人生における失敗の数=学習データの数とも捉えられます。

せっかく大量の学習データを持っているのに使わないのはもったいない。
数々の失敗をADHD特性を軸につぶさに分析していくと、かなり精度の高いオリジナルライフハックを生み出せるのではないかなと考えています。少々楽観的かもしれませんが。

定型発達と呼ばれる人々がなんとなくでできていることを、私は徹底的に仕組化して行うことで、日々のうっかりミスをかなり減らせるのではないかと結構本気で思っています。


定型発達と呼ばれる人々は、神でも仏でも超人でもありません。同じ人間です。彼ら彼女らにも得手不得手は存在します。私はADHD傾向が強いので、得手不得手がより顕著に見えてしまう”だけ”なのだと思います。

定型発達と呼ばれる人々も当然、うっかりミスを日々やらかしています。ADHD傾向が強いと、その度合いや頻度が凄まじいがために、社会生活に支障をきたして「障害」となります。


ADHDの強みである「失敗経験=学習データの多さ」を活かして、「普通」の生活を送る仕組みを考えながら運営していくことで、定型発達と呼ばれる人々と同等のうっかりミスの程度に落ち着くのではないか。ひいては、「誰にでもあるよ、それくらいのミス」と言われるような小さなミスを極限まで減らせるのではないかと、これまた本気で考えています。


私は極度の負けず嫌いの側面もあるので、「誰にでもあるよ、それくらいのミス」を極限まで減らし、人生におけるうっかりミスの総量を定型発達と呼ばれる人々と同等か、より少ない状態に持っていきたいと思っています。というか、かなりのガチ度合いでやってやらぁと思っています。


頑強な「普通」の上に、強みを輝かせることができるように(とは言え、そもそも輝かしいほどの強みを自分が持っているかはちょっと分かりませんが)、自分自身のADHD特性としっかり向き合っていきたいと思っています。決意表明日報。



これにて本日の日報は終わりです。

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