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hananosu
意味の占有〜「いいね」「アッハイ」説
「意味の占有」という概念があるそうだ。
コミュニケーションは意味を圧縮した表現を移動しあう行為だ。私たちは表現を移動して、相手はその表現に圧縮された意味を解凍して受け取る。
ところが、この圧縮と解答のプロセスではしばしば齟齬が起こる。例えば、AさんがA’という意味で発言したことを、BさんがB'という意味で解釈する。意味を直接相手の脳内に伝達する技術を人類はいまだ獲得していないので、大なり小なり発信者と受信者との間で意味はズレる。
この「表現と意味の二重性」を逆手にとると、様々な婉曲表現を作ることができる。「言ってるようで言ってない」「言ってないようで言ってる」。文学やアートというのは、そういう二重性ゆえの解釈可能性を楽しむゲームだと言える。表現の限界を超えて、相手が本当に伝えたい「意味」を探り合うゲームでもある。自分がうまく言えなかったことを、親切な友人が「こういうこと?」と当ててくれると「そう、それ!」という快感があるものだ。そういう共創的なプラスサムゲームとしての営みとしての側面がコミュニケーションにはある。
一方で、相手を損させてナンボのゼロサムゲームとしての側面もコミュニケーションにはある。
サポートされると小躍りするくらい嬉しいです。