「社会的意義」の危うさ/多軸分散的で重層的で連続的で流動的で創発的な意義/構造構成主義っぽい話
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こないだ、お友達が「社会的意義という言い方には危うさがある」という話をしていて面白かった。「社会的」と冠をつけることで、本来多様であるはずの意義を一元化して塗りつぶしてしまい、そこからあぶれる意義を疎外してしまいかねないからだ。みんながみんなそうというわけではなくて、そういう濫用ができてしまう。
思うに、ものごとの意義というのは、人それぞれ違う。一人ひとりにとっての意義がある。つまり、多軸分散的だ。
サポートされると小躍りするくらい嬉しいです。