
ricetta2 眠れない夜に—Art saryo物語ー
本日提供するのは、眠れない夜のための物語です。
最近は、寝苦しい夜がつづいていますね。
今は、普段とは違って、毎日のニュースに不安を感じたり、ストレスを感じたりすることも多いかもしれません。
私は、眠るときになって、悶々と不安な気持ちが沸き起こってしまうことがよくあります。
お医者さんではないので、不眠症を改善することはできないのですが、ここを訪れてくださった方の気持ちを少しだけでも軽くできたらいいなと思っています。
今回は、眠れない夜のための美術を処方したいと思います。今回も前回に引き続き、文章はかなり長めです。お時間あるときにごゆっくりどうぞ。
今回のricettaは、物語仕立てでの提供です。
眠れない夜のためのricetta
目覚めたとき、見知らぬ景色が車窓の向こうに広がっていた。夕暮れどきの街の景色をぼんやりと眺めながら、菜々は、降りるべき駅を過ぎてしまったことに気づいた。次の駅で慌てて降りた。
降りた駅で時刻表を見ると、折り返す電車が来るのは、1時間後だった。この辺りの電車は、1時間に1本くらいしかない。仕事帰りで、このあとまっすぐ家に帰る予定だったので、特に急いでいたわけではなかった。だが、1時間という時間をどうやって潰そうかと思案した。今朝は慌てて家を出たため、スマホの充電は10パーセントしかなく、本も持っていなかった。
改札を抜けて、駅前を歩いてみることにした。駅前は、かつては商店街として繁盛したのだろうが、今はほとんどの店にシャッターが降りていた。どこか休めるところがないだろうか、と歩いていると、表の通りから一本路地に入ったところに、明かりの灯ったお店らしき建物があった。「Art saryo」という看板が小さなライトで照らされ、扉にはOPENという札がかけられていた。喫茶店かな、と想像しながら扉をあけると、期待通り、店内にはほのかにコーヒーの香りが漂っていた。
中庭の脇の細い廊下を抜けると、カウンターや椅子とテーブルが並んでいた。どこに座ろうかと悩んでいると、カウンターの向こうからお姉さんが顔を出した。
「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ。」
と言われ、菜々はカウンター席に座りながら、
「今日は、何時までの営業でしょうか。」
と尋ねた。次の電車の時間まで開いてくれているといいなと思いながら。
「真夜中まで私はここにいますよ。でも、お店はいつでも開いています。」
とお姉さんは微笑みながら答えた。菜々は、どういうことだろう、と思ったが、電車の時間までお店が開いていることがわかったから、特に聞き返さなかった。
何を注文しようかと思いながら、メニューを探していると
「もしかして、電車を乗り過ごしちゃいましたか。このあたりでスーツとハイヒールで歩いている方は珍しいから。」
とお姉さんに尋ねられた。菜々は、少し恥ずかしかったが、こくんと頷いた。
「そのとおりです。寝過ごしちゃって。でも、次の電車まで時間があるから、どこか休めるところがないかなと思いながら歩いていました。このお店があってよかった。」
「そうでしたか。最近は、暑くて寝苦しいから寝不足かしら。」
「ええ。なかなか寝付けなくて。ただ、眠れないのは、暑くなる前からです。コロナのせいで、いつもと違うからかな、寝る前にいろいろ考えてしまうんです。なかなか眠れないので、朝もすっきりと起きられなくて。今日は、朝ごはんも食べずに出てきました。夜寝てないから、電車では、いつも眠くて。帰りの電車で寝たら、また眠れなくなる、とわかっていても寝てしまうんです。休みの日は、眠れるのですが、最近はどこに出かけるのも自粛モードで、休みの日も気が休まりません。でも、看護師の友達なんか、すごく大変そうで、本当にがんばっている人たちもいますよね。そういう人たちに比べたら、私なんて全然大変じゃない。もっと頑張らないといけないんですけど。
…ごめんなさい、愚痴っぽくなってしまいました。」
菜々は、いつもよりよく喋った。お姉さんは、頷きながら話を聞いていたが、菜々が話し終わると、菜々のことを見つめながら言った。
「よく頑張りましたね。」
菜々は、お姉さんの言葉に、笑って応えようとした。
だが、顔がひきつってうまく笑えなかった。
なぜか泣きそうになった。
頑張ってなんていない、もっと頑張っている人はたくさんいて、ミスも多いし、全然役に立っていない、と思いながら、涙をぐっとこらえた。
お姉さんは、そんな菜々を見ながら、
「あなたにおすすめのricettaを思いつきました。少々お待ち下さい」
と言って、カウンターの向こうのキッチンに消えた。菜々は、「リチェッタ」ってなんだろうと思いながら、お姉さんを待った。
お姉さんは、戻ってくるなり、
「後ろを向いてみてください」
と言った。
菜々は、自分の目を疑った。
ガラスの向こうの、先程までは中庭だった場所に、二つの絵画が浮かんでいた。
今自分は夢を見ているのかなと思った。
お姉さんは、ガラス戸を開けて、菜々を絵画のそばに招いてくれた。
お姉さんは、何も言わずに一つの絵を見つめていた。菜々も、お姉さんの隣に立って、じっと同じ絵を見つめ、
「私、たぶんこの絵を見るのは、初めてだと思うんですが、なんだか懐しい気持ちになります。」
と、思ったことをそのままに言葉にした。菜々は、絵の感想を誰かに話すなんて初めてのことだったけれど、そのまま話してみたいと思った。
「線は力強いのに、とても静かな絵。だけど、音がないわけではなくて、風の吹き抜ける音が聞こえてきそうです。夢の中のような、ちょっと抽象的な絵にも思えますが、夏の草の香りが伝わってきそうなリアリティもあるような気がします。」
お姉さんは、絵の方を向いたまま話し始めた。
「実は、この絵を描いた画家は、聴覚を失っている画家なんです。とても静かな絵ですよね。」
菜々は、音が聞こえてきそうなんて言わなければよかったと心の中でそっと思った。
お姉さんは、菜々の方をチラッと見て話を続けた。
「でも、私は、風の音が聞こえてきそうというのは、間違いだとは思いません。彼は生まれつき聞こえなかったわけではないし、聴力を失っても風を肌に感じていたでしょうから。世の中には、真実とそうではないものとをはっきりと分けられることは、もちろんあります。けれど、絵を見てその人が感じたことに間違いはあるのでしょうか。それが、たとえ史実とは異なっていたとしても、私は、その人がどう感じるかは自由だと思っています。懐しいとか、草の香りが伝わってきそうという感想も、もしかすると画家自身が狙っていたものではないかもしれませんが、私もこの絵の前に立つとそう思います。この絵の前に立つまで思い出さなかったような記憶、たとえば小学生の頃にトンボを捕まえて遊んだな、とか、小学校の校庭の裏庭は木陰で涼しかったなといった懐しい思い出がふわっと蘇ってきます。」
お姉さんは、隣の絵へと目を移して、「この絵も同じ画家が描いた作品です。」とだけ言った。
同じ画家が描いたにしては、色も雰囲気もだいぶ違うな、と菜々は思いながら、
「戦争の絵でしょうか。」
と尋ねた。
「どうしてそう思いましたか。」
「色が、重々しくて、空も赤いし。空襲の風景のようだから。」
「もっと近づいて見てみてください。空襲の絵でしょうか。」
「あ、違いますね。空襲の絵じゃない。背景は、重々しく見えましたが、焼け野原ではないですね。よく見ると、背景には、犬を囲んで遊んでいる子供たちもいました。」
「そうですね。この絵は、日本が空襲を受ける以前に描かれたものですし、背景の街には人々が行き交っているので、空襲の最中を描いたものではないでしょう。でも、ぱっと見て、空襲の絵と見えてしまうような重々しさがあるのは、確かだと思います。この作品が描かれた1941年という時代は、戦時色が強まっている時代ですから、戦争と切り離せないでしょうね。作品と対峙して初めに抱く印象も、作品と対話を重ねて見えてくることも、どちらも大切なものだと私は考えています。」
菜々は、間違うことを恥ずかしいと思う気持ちが薄れていくのを感じながら、質問した。
「ここに描かれているのは、画家自身ですか。」
「よく見ると、木箱の上に、黒い缶のようなものと、瓶がありますね。これは、筆洗と溶き油瓶でしょう。画材道具ですね。それに、この絵のタイトルは、《画家の像》ですし、この画家の描いたほかの自画像と、この絵の顔は似ていますから画家本人と考えて良いでしょう。」
中心にいるのが画家だとしたら、隣にいるのは奥さんと子どもかな。画家は、奥さんと子どもを守るように画家は立っているみたいに見える。画家は、どこに立っているんだろう。高いところから見下ろしているような背景だけど、画家が立つのは丘のようには見えないな。それに、画家の足元の荷車と画家との大きさは違いすぎる。かなり唐突に遠景と前景が結びついているなと、菜々は画面を食い入るように見つめていた。
そんな菜々の様子を見ながら、お姉さんは語り始めた。
「この画家は、この絵を描く少し前に〈生きている画家〉という論考を雑誌『みずゑ』に発表しています。この論考は、同じ雑誌に掲載された陸軍省将校の座談会記事「国防国家と美術」に対抗して書かれたものと言われています。その記事では、美術家も「時局に相応しい思想感情を表現して国家機能を担当しなければならぬ」とされていました。この絵を描いた画家は、それに対抗する論考を発表したのです。」
「軍部に反抗するなんて、その時代にできたのでしょうか。」
「どうでしょうね。発言はある程度統制されていたかもしれません。実際、彼の論考を読むと、従来言われているように、正面切って対抗したというよりは、軍部に対して芸術家への深い理解を求める、謙虚な態度に貫かれています。とはいえ、謙虚であるからといって、弱々しいわけではありません。とても力強さを感じさせます。その冒頭をお見せしましょう。
沈黙の賢さといふことを、本誌一月号所蔵の座談会記事を読んだ多くの画家は感じたと思う。(中略)美といふ一つの綜合点の発見に生涯を託してゐるものである私は、政治の実際の衝にあつて、この国家の現実に、耳目、手足、となつて活躍してゐる先達から見れば、国家の政治的状況を知らぬこと愚昧を極めた弱小な蒼生に過ぎないのである。(中略)今、沈黙することは賢い。けれど今たゞ沈黙することが凡てに於いて正しいのではないと信じる。
—松本竣介〈生きてゐる画家〉
(展覧会図録「生誕100年松本竣介展」(岩手県美術館、神奈川県立近代美術館、宮城県美術館、島根県立美術館、世田谷美術館)、2012年、p.332)
口を閉ざし、ただ従うことだけを求められた時代に、彼はあえてペンと絵筆を手にして物申した。それは、彼の言う通り、“賢い”選択ではなかったでしょう。けれど、私は、彼が沈黙することなく、表現してくれてよかったと思っています。もし彼が沈黙することを選んでいたら、この傑作が世の中に出ることもなかったかもしれません。」
菜々は、こんな文章を発表した後で、作品を発表するのはいったいどれほどのプレッシャーだったのだろうと考えて恐ろしくなった。画家は、聴力を失っていたというから、兵役を免れていたのだろう。でも、それなら尚のこと、周りの画家たちが戦地に赴く中で、無力感に苛まれたってちっともおかしくはないのに。
それなのに、これほどの力強い文章と絵画を残せるなんて。
きっと今以上に口を閉ざすことが求められていた時代だ。いや、もしかしたら、今だって、間違うことよりも黙っていることを、そして、和を乱すより自分を犠牲にすることを求められるのは変わらないのかもしれないと思った。
昨日の夜も、その前の夜も、菜々は一人職場に残っていた。みんなが忙しいからといって手を付けないでいる仕事をこなした。誰も褒めてくれる人はいなかった。それでも、誰かが、やらなければいけないんだと自分に言い聞かせていた。けれど、今日になって、その仕事にミスが発覚した。誰も庇ってくれなかった。当たり前だ。一人で勝手に全部の仕事をやっていたのだから。自分の責任を認めるのが苦しくて、今日は逃げるように早く帰ってきたのだった。
この画家とは、あまりにも違う、自分の弱さが恥ずかしくて、悔しくて、自分の目が涙で滲んでくるのがわかった。だが、菜々はそのまま絵から目を離さなかった。ふとあることに気づいた。
「この絵の画家と家族はどこに立っているのでしょう。画家は、街を背にして立っていると思っていたのですが、そうだとすると、画家は光を背にしているはずですよね…なんで画家の肩のあたりが光っているんだろう…。背景の光は、画家を貫いているのかな。もしかしたら、この画家は、本当は街の方を向いて立っているのかもしれない。この画家は、戦時においても、自分を見つめ、家族を守り、市井に生きる人々の生活に目を向け、身近なものを描き続けようとしたのではないですか。」
話しているうちに、菜々は自分が次第に興奮してくるのを感じた。
そんな菜々を興味深そうに見ながら、お姉さんは答えた。
「そうかもしれませんね。この画家は、”モンタージュ”といって、風景や人物を実際の距離と関係なくコラージュさせた作品も数多く残していますし、この絵の前景と遠景の関係は曖昧になっていますから、そう読み取ることも可能だと思います。国が、政治や国防に追われる中で、身近なものこそ大切なのだという主張は、彼の〈生きてゐる画家〉ではっきりと述べられていませんが、言葉にはできぬ思いも、絵になら込めることができたかもしれません。」
菜々は、なぜこの絵を自分のために選んでくれたのか、わかったような気がした。
自分の声に、耳を塞ぐのは、賢い。
けれど、それがいつも正しいわけではないのかもしれない。
ふと時計を見ると、電車の発車時間の5分前だった。
菜々は、あわてて帰る準備をしようとした。
でも、菜々は立ち止まった。
今日は、金曜日。
眠るのが遅くなっても、明日は休みだ。
お姉さんは、真夜中までいると言っていたし、最終電車までは、まだ時間がある。
そうだ、コーヒーを淹れてもらおう。
お店に入ったときから、とてもいい香りがしているもの。もっと絵の話もきいてみたい。
そして、本棚にある本を借りて読もう。
今日は、自分のためだけに時間を使おう。
そう決めたら、久しぶりに菜々の心は弾んだ。
今夜は、眠れない夜じゃない。眠りたくない夜を過ごそう。
あとがき
今回のricettaはいかがでしたか。最後まで読んでくださって、本当にありがとうございます。
今回も長かったですね。次回は短くするように努めます。
私の専攻は、西洋美術史なので、松本竣介については、正直言ってほとんど何も知りませんでした。でも、大好きな画家なので、この画家の作品を最初に取りあげました。そして、地元の美術館にある作品なので、何度も見ている大好きな作品です。
美術作品の第一印象やディスクリプション(ことばでの描写)から始まって、その意味を考えるという美術史の基本的な手法を使いながら、物語を展開してみました。
今回の物語は、過去の自分に語りかけるように書きました。もし過去の自分に会えるなら、体調を崩すまで、自分の心に蓋をせずに、少しずつ吐き出していいんだよと言いたいです。でも、それは、過去の自分を客観的に見られるようになりつつある、今の自分だからこそできることです。
本当は、こんな物語で解決できることなんて、きっとない。でも、それがわかっていても、書かずにはいられなかった物語です。
物語にもあったように、私はいつも0時くらいに寝ますが、お店はいつでも開いているのでいつでも遊びに来てくださいね。
最後に、参考文献と作品情報を載せます。前回、作品のタイトルはあとで見ると言ったので、あえて最後に載せることにしました(途中、一回画家の名前を体裁上出しましたが)。写真では、細部が見えないですし(背景の人物の顔とか)、やっぱり本物は写真とは違った迫力があると思うので、機会があればぜひ見ていただきたいと思います。
参考文献
・展覧会図録「生誕100年松本竣介展」(岩手県美術館、神奈川県立近代美術館、宮城県美術館、島根県立美術館、世田谷美術館)、2012年
・浅野徹、水谷長志『新潮日本美術文庫 松本竣介』新潮社、1996年
・村上博哉「自己イメージの弁証法(上)―松本竣介《画家の像》、《立てる像》、《五人》、《三人》の解読―」、『美術研究』、383号、2004年。「同題(下)」、『美術研究』、384号、2004年。
作品情報
・松本竣介《郊外》
1937年|油彩・板|96.6×130.0㎝
宮城県美術館
・松本竣介《画家の像》
1941年|油彩・板|162.4×112.7cm|
宮城県美術館
※画像は、前掲図録より引用しました。