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エピローグ
前の記事を書いてから少し時間が経っているので、何から話そうか、ちょっと迷ってしまいますね。
まずは、4月からどんな暮らしをしているのか、近況からお話しします。
ふたりの休日
このまえの土曜日のこと。
休みの日だったが、私は5時に目を覚ました。
4月から仕事がはじまって、毎朝5時に起きるのが習慣になった。
3月中は、早起きの練習をしても全然起きられなかったけれど、起きなければいけないとなれば、起きられるものなのだ。
私が目を覚ますとき、ぺこりんはまだ寝ている。
仕事の日なら起こすが、休みの日だったから、思う存分かわいい寝顔を愛でる。
ついつい、ぷにっとしているほっぺに触れたくなるけれど、きもちよさそうに寝ているから我慢する。
ぺこりんが起きてから、二人で駅前のパン屋さんまで歩く。
新しく引っ越してきた街は、とてもいい街だ。
おいしいお店がたくさんある。
駅のパン屋さんもとてもおいしい。
図書館や美術館、音楽ホールも充実していて、自治体が文化や教育にちゃんとお金を使おうとしている。
都市だけどごみごみとしていなくて、景観も整っているから、歩いていて楽しい。
私は職場まで車で、ぺこりんは電車で通っている。
だから、駅までの道は、ぺこりんのほうが詳しくて、「ここの街灯がかわいいんだよ」、「この角のお家がかわいいよ」と、得意げに教えてくれる。
「そうだね、かわいいね」と返事をしつつ、得意げなぺこりんがかわいい!と心の中では思っている。
パン屋さんで、ぺこりんはカレーパンとコーヒーを、私はサンドイッチを注文する。少しずつ交換し合って、おいしいねと言い合いながら食べる。
駅まで来たついでに、帰りには少し買い物をして帰る。
ぺこりんは、ルピシアでお気に入りのお茶をいくつか買っていた。
帰ってきてから、お昼ごはんをつくる。
働くようになったら、料理する時間なんてないかも、と予想していたけれど、今のところ私の帰りが早いから、これまでと同じように料理する時間をとれている。
これまでと変わったのは、私の食欲。
一日中家にいた昨年は、毎日400mlのお米を炊いていたが、最近ではそれでは全然足りなくて500ml炊く。
それから、近所に新鮮なお魚を売っているお店を発見した。
三陸の海の幸をたらふく食べて育った私は、お魚にはちょっとうるさいのだ。
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半分は醤油とわさびに漬けて、
半分はごま油とねぎと塩コショウで合えて。
とんでもなくおいしかった。
仕事中におなかが空いちゃうんだ、とぺこりんに相談したら、ぺこりんは午後にチョコバナナマフィンをつくってくれた。
ひとつは、焼き立てを食べて、残りはお仕事の日に持っていくことにした。
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ぺこりんがマフィンをつくっている間、私はカレーをつくった。
ジャガイモとレンコンが入ったカレーが食べたいとぺこりんが言うので、入れてみる。
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すごくおいしかったから、これからの定番カレーになりそうだ。
働きはじめたら、ぺこりんと一緒に過ごす時間が短くなっちゃうから、仲が悪くなったりしたらどうしよう…とこっそり心配していたけれど、とりあえず今のところ、これまでと変わりなく(もしかするとこれまで以上に)、仲良く楽しく過ごしている。
休日出勤
日曜日、私は仕事で、ぺこりんはお休みだった。
美術館は、基本的に月曜日が休館で、職員は土・月休みと日・月休みの週を交互に繰り返す。
ぺこりんは土日休みだから、毎週1日しか休みは合わないことになる。
なんとなく寂しい気もするけれど、毎週1日はたっぷり一緒にいられるのだし、お互いに自分の時間がもてるというのも、悪くはないと割り切る。
それに、私は以前の職場でも平日休みを経験したが、休日出勤・平日休みにはいいところもあるのだ。
休日だと、電車や道路が空いているから出勤が楽だし、平日休みは役所の用事や病院にも行きやすい。
そして、これは想定していなかったことだけど、ぺこりんが休みで私が仕事の日は、ぺこりんがお弁当と夕ごはんをつくってくれることになった。
ぺこりんがつくってくれたお弁当。
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ぺこりんがつくってくれた夕ごはん。
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普段はぺこりんのほうが遠くに通勤するから、ぺこりんのほうが行きは早いし帰りは遅い。
でも、休みの日は、ぺこりんにいってらっしゃいと見送ってもらって、帰ってくるとおかえりなさいと出迎えてもらう。
やっぱり、休日出勤、悪くないぞ、と思う。
新しい職場
日曜日の職場は、ひっそりとしている。
お客様のいる空間は、平日よりも賑わっているけれど、その日学芸員室にいたのは私ともう一人だけだった。
私は、平然と自分の席に座って、研修の報告書を書いたり、冬に開催される展覧会の作者について調べたりする。
でも、内心は、まだそわそわしている。
自分が美術館で働いているということに、まだ実感がもてない。
学芸員室に自分の席があること、名刺に「学芸員」と書いてあること、学芸員会議に出席すること、展示作業に加わること、そんな当たり前ことが、いちいちうれしい。
数年前、市役所で働いていた私には、学芸員という肩書はあったけれど、学芸員としての仕事はほとんどなかった。
3年前、博物館で解説員として働いたときは、学芸員の姿をただ近くから眺めていた。
一昨年、美術館で学芸員補として働いたときは、学芸員と一緒に仕事したけれど、学芸員と学芸員補の間には、くっきりと線が引かれていた。
ようやく手にした学芸員の仕事。
まだふわふわ、そわそわしているけれど。
少しずつ馴染んでいけたらいいなと思っている。
職場の上司たちは、みんな、びっくりするほど、優しい。
わからないことがありすぎて、こんなに何度も尋ねるのは申し訳ないなと思いながら、おずおずと尋ねる私に「大丈夫。一年くらい経てば、全部わかるようになるから。それまでは、何度聞いたっていいの。」と答えてくれる人。
「最初のうちは、何がわからないのかも、わからないかもしれない。でも、そのうち如月さんのこともいっぱい頼りにするから。いまは、焦んなくていいよ。いまは、できるだけ早く帰って、たくさん食べて、たくさん寝て、身体を慣らすのに専念するときだよ。」と優しくアドバイスしてくれる人。
昼休みに散歩に誘ってくれる人もいる。
美術館のまわりは公園になっているから、散歩すると、とっても気持ちがいい。散歩しながら、おしゃべりするのも楽しい。
それから、私の直属の上司も、とても穏やかで優しい。
そっけないようで、いつも丁寧に教えてくれる。
私が他の上司から注意を受けたときに、「如月さんは悪くないよ。私が指示しなかったからだ」とフォローしてくれたり(私が悪かったんだけど)、他の上司につかまっていて定時を過ぎていたときに「もうそろそろ帰してあげてください」と迎えに来てくれたりした。
あまりにもみんなが優しいから、少し気遅れてしてしまいそうにもなるけれど、いまはただ、そんな優しさを遠慮なく受け取っちゃおうと思う。
仕事の内容としては、1年目から主担当の展覧会もあるし、アートイベントの企画の担当にもなっていて、予想していた以上に大変そう。
でも、そのぶんやりがいも感じている。
知りたいこと、伝えたいことがたくさんある。
きっと大変ではあるんだろうけれど、すごくわくわくしているこの気持ちを忘れずにいたい。
ひとりの休日
毎週月曜日は、私ひとりの休日だ。
私は、ひとりでいるのも好きなので、本を読んだり、映画を観たり、散歩したり、美術館に行ったり(月曜は休館のところも多いけれど)、いくらでも過ごしようはあるわけなんだけれど。
この前、散歩しているときに見つけてしまったのだ。
月曜に大人向けの絵画教室を開講しているアトリエを。
すぐに電話して、人数の空きがあるか確認したら、まだ受け付けているとのこと。
その絵画教室では、かなり特殊な絵画の技法も学べて、私が担当することになる美術展の作者が用いていた技法も学ぶことができる。
別に、学芸員は技法を頭で理解していればいいのであって、それを手で習得する必要はない。
でも、習得したら、絵の見え方も変わってくるかもしれない。そしたら、伝え方や見せ方も、きっと変わってくると思う。
それに、学芸員として、というのは一旦わきにおいても、ただ「描きたい」という気持ちがある。
毎日美術館で絵を見ていると、描きたくなるのだ。
というわけで、ひとりの休日は、午前は勉強して、午後は絵を描くことになりそう。
散歩していたら、近所にフルート教室も見つけてしまったので、これはぺこりんと相談して一緒に通ってもいいなと思っている。
点と点
ここまで、近況を綴ってきました。
ここまでの文章から、感じ取っていただけたと思いますが、私はいますごくしあわせです。
でも、数年前の私は、こんな未来を想像することができませんでした。
数年前のある朝、コップから水が溢れました。
比喩ではなく、本当に。
コップの水が、テーブルの上に零れ、コップを持っていたはずの手がわなわなと震えています。
その直前、両親と話していて、私は苛立って、でも、その苛立ちをうまく鎮めることも、うまく言葉にすることもできずに、気づいたときには、コップから水がびしゃびしゃと溢れていました。
その頃の私は、心身を病んで、仕事を辞めて、自分の未来を思い描くことができませんでした。
未来というか、「今」自分の置かれている状況を見つめることすら怖かった。
何もしていないことも怖くて、就活をしても、落ちつづける。
そのうち、面接に行くことも怖くなって、途中で辞退してしまったこともあります。
そんな自分が恥ずかしくて情けなかった。
だけど、今の私はこう思っています。
そんな過去があるから、今があるのだと。
過去の自分は、今の自分の中にもいます。
私は、今、過去の自分を恥ずかしいとも、情けないとも思いません。
過去の自分が思い悩んで、決断した先に、今があります。
私は、かつて、仕事から逃げました。
それは、とても無責任な逃げ方でした。
だけど、私は「逃げたこと」から逃げませんでした。
正しく言えば、逃げられなかった、のかもしれません。
逃げたという事実はこれからも変えられません。
逃げたという過去は変えられなくても、また新たに向き合うことはできるはずだと信じて、歩いてきました。
スティーブ・ジョブズの「connecting the dots」という有名な言葉がありますが、その言葉のとおり、今までの人生に無駄なことなんてなかったんだと、今の私は思います。
去年は働いていないことを少し引け目に感じていましたが、去年の私ががんばって家事をしてくれたから、今の私はスムーズに仕事と家事を両立させています。
思い悩んだ日々があるから、思い悩んでいる人の声が以前よりも聞こえるようになりました。
死にたいと思った日があったから、今のしあわせを取りこぼすことなく感じられるのだと思います。
スーラの点描画のように、地道に点々(the dots)を打ち続けて絵にすることもできますが、星座のように、遠く離れた点と点(the dots)を結んで、これは絵なんだということもできるんですよね。
無為に過ごしていると思っていた日々も、いつか美しい絵の一部になるかもしれない。
私の真っ黒に塗りつぶしたと思っていた過去も、目を凝らしたら、そこには星が浮かんでいました。
点を不要なシミにするか、美しい絵の一部として取り込むかは、画家の手に委ねられているのです。
私の「絵」はまだ完成したわけではなく、これからどんな色に染まっていくのかわかりません。
でも、真っ黒に塗りつぶされた部分があっても、そこを星空にできるのなら、これからどんなことがおきても、きっといい絵になる、いや、いい絵にするんだという気持ちでいます。
まっしろなカンバス
今、私はまっしろなカンバスをイーゼルに立てかけたくなっています。
これは、比喩でして。
直接的に言うと、
この記事を、私のnoteの最後の記事にしようと決めました。
キャリアのスタートラインにたった今、私は、まっしろなカンバスに絵を描くときのように、まっさらなきもちでいます。
ここはとても居心地のいい場所ですが、このまっさらなきもちのまま外の風に当たりたくなりました。
私はここでの更新をやめても、これからもどこかで書きつづけます。
またいつかどこかでお会いしましょう。
みなさんから受け取ったものを、直接返すことはできなかったかもしれませんが、これから少しずつだれかに与えられるようになりたいと思います。
(絵を描くと約束した方には、いつか届けるつもりですので、もうしばらくお待ちください。)
これまで如月桃子のnoteを読んでくださってありがとうございました。
数日中にこの記事にいただくコメントには返信させていただきます。