「#人に恵まれている」と言える人に憧れていた
社会人になったばかりの頃、インスタグラムを始めた。
私は、留学のため卒業を1年遅らせたので、私が社会人1年生の頃、同級生は社会人2年目を迎えていた。
友達のインスタグラムを見てみると、社会人2年生のみんなは、華やかな生活を送っていた。
平日は、仕事仲間と飲み会をしている写真をアップして、その日の仕事の達成感を文面に滲ませる。
休日は、素敵な場所へ、素敵な人とおしゃれしてデートする。
そんな写真に溢れていた。
そして、そういう人の投稿には、「私って、人に恵まれている」という趣旨の文章が書かれたり、ハッシュタグが付けられていた。
「人に恵まれている」という言葉は、誰かを褒めているようで、そんな人たちに囲まれていることを自慢しているようにしか思えなかった。
その頃の私は、もう心が病みはじめていたのだと思う。
自分と比べて、しあわせそうな人たちを勝手に妬んでいた。
でも、今ならわかる。
みんな頑張って生きていただけなのだと。
私は、画面の向こうにいる人が見せたい姿を見ていたにすぎない。
直接会ったときには、その人がどんなにしあわせそうでも、嫉妬するきもちはあまり起きなかった。
画面越しには、しあわせそうに笑うあの子も、本当はなにかに悩んでいた。
悩みがないように見える人は、そう見えないように努力している人だった。
最近、「人に恵まれている」という言葉を見かけると、
あなたが、人に恵まれていて私もうれしいよ。
私も、すてきな人に恵まれているよ。
と思えるようになった。
かつて人に恵まれていると言えなかった自分がとても恩知らずに思えるほど、私は人に恵まれていた。
でも、人に恵まれていると思えない人もいるかもしれない。
かつての私のように。
きっと、その状態には終わりがくるよ。
いまの私のように。
気持ちが沈んでいた期間も長かったから、今のように心躍る毎日を迎えられていることが、信じられないくらいうれしい。
けれど、ちょっと怖くもある。
こんなふうに気持ちがふわふわしているときは、すこし危ない。
私は、学校の先生や部活仲間から、よく言われた言葉がある。
それは、「ストイック」という言葉。
勉強でも、部活でも、人一倍努力するのが好きだった。
というよりも、自分を追い込まなないといけないような気がしていた。
自分ができる側の人間ではないことはよくわかっていたから、努力するしかないと思っていた。
誰かに努力することを強要されたわけではなかった。
両親は、いつも頑張らなくていいんだよと私に言ってくれていた。
いつでも私を肯定してくれる優しい両親だった。
それなら、なぜ自分を追い込みやすいのか。
たぶん、私には自己肯定感が少ないのだと思う。
なかなか自分を肯定できないから、だれかに褒められるとうれしくて、つい頑張ってしまうのだろう。
そんな危うさに注意を促してくれた人がいた。
今、彼はおやすみ中なのに、私が転ばないように、私の以下の二つの記事にこたえて、手を差し伸べてくれた。
たまちゃん(=たまごまる)は、上に挙げた記事で、私に似ていると言っている。
私は、彼のように自分を犠牲にして、誰かのために尽くそうとはしない。
ほとんど自分のためだ。そこは違う。
でも、追い詰めやすい。
自分を追い詰めて、追い詰めて、転ぶまで抱え込んでしまう。
そこは似ている。
彼が身を挺して助けようとしてくれた意味を
私はもう少し考えるべきだ。
「人に恵まれている」と、今の私は自信を持って言える。
でも、今の私は、そんな素敵な人たち一人一人を大切にする余裕を失いかけている。
noteでも、最近タイムラインを見るのが全然追いつかないし、フォローしてくださる方の記事も全然読めていない。サポートのお礼も前のようにはできていない。
私を大切に想ってくださっている方がいるのがわかっているのに、
なかなか想いを返せないことがもどかしい。
すこしペースダウンした方がいいのは頭ではわかる。
やりたいことはたくさんあるけれど。
ちょっと心地よいペースをつくるのに時間がかかってしまうかもしれない。
約束を守れなくなってしまうかもしれない。
それが怖くて仕方ない。
私がそう言ったら、大丈夫だよって言ってくれる人がたくさんいるのは知っている。私は人に恵まれているから。
でも、それに甘えたくない自分もいて。
…だんだん何を言っているのか自分でもよくわからなくなってきたけれど。
今、私は追い詰められているわけではなく、ただしあわせだ。
でも、ずっと不安を感じていたから、しあわせだと思えることに慣れていないのだと思う。
そして、今、自分がなかなか想いを返せていないことを自覚しているから、どうか見捨てないでほしい。そういうことだと思う。私が言いたいのは。
すごく勝手なことを言っていることはわかっている。
今、受け取っているものの方が多くて、返せていない。
でも、すこしずついろいろな形で返していけたらと思っている。
無理せず、焦らず進めていきたいので、
これからも見守っていただけたらうれしい。
私は、あなたのような素敵な人たちに恵まれて、とてもしあわせだ。