三味線日記 3
私が三味線を始めたきっかけは地域のお祭りだった。
三味線伴奏奏者のおじいさんが「膝が痛くて正座できない、そろそろ引退したい」と言う。このままでは100年続いて来た郷土芸能の伴奏がカセットテープでスピーカーから流れるという事態になってしまう。既に笛がいなくなってそうなった獅子舞などが近くにあった。とても寂しい風景だ。誰かやってくれる人はいないかということになり、同じ地域のママ友達と始めたのだった。
師匠は80超えの長老。三味線を覚えたのはまだ20代頃だというから60年選手ということになる。
しかし教えてもらうといっても郷土芸能は先輩の技を見て聴いてというものだった。楽譜などない。このへんを押さえて、とか口三味線らしき鼻歌を交えて見様見真似であった。だからまったくといっていいほど先に進まなかった。このままではもう公演まで間に合わないと思った私は、正式な三味線教室に通ってそこの先生に楽譜の書き方を教わろうと思ったのだった。
そして近くの文化センターへ入会した。それが今の先生。
先生は私の話をよく聞いてくれた。でもグループレッスンだからお祭りの曲練習はできないと言われた。それでも三味線についてわからないことはたくさんあったので、その都度質問し先生は丁寧に答えてくれた。構え方、バチの使い方等等の基本も習えた。
一番参考になったのは文化譜だ。幸い私はピアノの経験があったので音を取って楽譜に写すということがすぐにできた。文化譜の発明って本当にすごい!それでママ友たちと協力してお祭りの曲の楽譜がなんとなくではあるが出来上がったのだ。それをお祭りの師匠に弾いて聴いてもらい修整していった。
お祭り伴奏の7曲ほどをきちんと楽譜に残せたのでとりあえず一安心。拙い演奏ながらお祭り公演にも間に合ったのだった。
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