成長痛に近いと信じる
最近、たくさん頑張っている。
私はどうにも不器用な人間なので、自分が何かを頑張っていなければ、自分を肯定できない。しかし完璧主義ゆえ上手くいかない、というどうしようもなかったトゲトゲを、ここのところはたくさんの経験で丸くできているように思える。
完璧主義は忙しいホールの仕事では邪魔になることの方が多かったし、頑張るという意識よりも楽な選択肢は率先して取って、その分色々なことに気を回すことが大事なのだと覚えてきた。ほんの少しずつ、社会というものに適応しつつある。きっと人の何倍も遅くて、みんなが生きていく中で少しずつ覚えてきたものを私はいくつも取りこぼしてきたから、今更それの回収をしているに過ぎないのかもしれない。それでも結構やれているんじゃないかと思うのだ。自分はダメだと思っていたことの大概に自信が持てるようになって、その分ボロボロになるまで頑張っている。なので、ここで休憩、と思ったのがつい昨日くらいの話。(ここまでが前書きなのだなら私はいつまでたっても文章を短くできない)その昨日、私は「なにかわるいことしたい欲」に駆られているのに気付いた。駆られているし、早く早くと急かされている。そうしないと楽しくない、苦しい、と思い込まされているのか、実際思い込んでいるのかわからない。とにかくもやもやした。
別に本当の悪いことじゃなくたっていい。これが落ち着くくらいでいいのだ。でも、それが一体何なのか、分からなくって苦しい。なんでこうなってしまったんだろうと悩んだ末、ストレスだと気付いた。結構面白い表れ方するなあ…と思った瞬間はちょっと楽になった。いやこれが、本気なんだわ。だから困ってる。足を止めたくなくて必死に動くけど、疲れて足を止めてもダメになるというわけだ。動きたい欲が尋常じゃないらしくて結構笑った。
バイト他頑張りたいことに全力で取り組みつつ、そのせいで潰されて趣味が出来なくなると人間ってものはダメになる、と学んだ。なので休日を作って、沢山遊んで、その中でお金の使い方も学んだし、服の選び方やオシャレだって多少知った。楽しい日々を過ごせてるはずだ。でもどうしたって、日常を過ごしているだけで積もるストレスがあって、それがバイトでのストレスと重なって、1番大きな緊張の元であるバイトを辞めれば解決するのでは?と危険な思想に走りかける時が、正直ある。バイトして、遊んで、自分の楽しいことして、バイトを頑張りつつも、日々の中心にならないようにしてきた。バイトの中でも結構悩みの種だったことが不思議なくらいに急に解決したりして、辞める理由なんかひとつもないのだ。でもなんだか落ち着かない。落ち着かない、ざわざわする、その全てが悪いことしたい気分に繋がっている、と思う。なんだかひりひりする。成長痛だろうか。成長痛に近い何かだと思うことにする。
最近頑張れている。頑張れているという言葉は、自分を必死に正当化するような言葉で嫌いだったけど、今は胸を張って言える。正当化じゃなくて、誓いじゃなくて呪いじゃなくて、必死に頑張っているのだ。誰もがみんな頑張っている、という言葉に、私だけ頑張れていなくて、だからいつかそれを理由に爪弾きにされる日が来ると思って生きてきた。だから今、頑張れているのが不思議で、怖くて、それで、頑張るってすごく疲れる。足を止めたら今度はひりひりしてしまった。本当に恐ろしい。映画を見て、遊んで、ゆっくり解呪していこうと思う。多分、成長痛だと思うから。