日記①

父はすごいなと、最近ふと思った。私は暇さえあればずっとスマホにかじりついてTwitterを見ているのだが、Twitterではよく炎上騒ぎが良く起こる。トレンドに上がっているとちょっとした興味で開いてしまいそれに関連するツイートを読んでいることがある。出てくるのは大概誰かの感情で、全貌は中々出てこない。関わる人間の数が大きくなっていくほど騒動の主語は大きくなっていき、新聞の見出しのような、配慮や事実に一切関係の内容な言葉が使われていく。トレンドには事実から遠いものばかりが乗る。情報なんて所詮どこに「〜らしい」が1万個隠れているか分からないのに。火のないところに煙は立たないとはもう昔の話だ。対象だけを明確にし、煙のようなものさえ立てさせれば、それに反応して火事だと勘違いした人間が勝手に炎上だと言って騒ぎ出す。自分はそういうのを見ると、ああ人間はおろか、なんて思ってしまう。前置きが長くなってしまったが、私が父のことを尊敬したのはこういうところだ。勝手に決めつけて事実と感想と思い込みとデマの区別もつかないままボヤに反応する人もわんさかいる中、父親は何事も冷静に捉える。例えば私と母が喧嘩をする。両者共に非があり、また違う言い分がある。父は二人分の意見をそれぞれ聞く。そうしてから、私に対しても母親に対しても、こういう善処の仕方があったのではないかとか、こういった可能性もあったとか、どうしてそういう言動に至ったのかとか、とりあえず事実を一旦置いて話をする。彼の目標は善悪をはっきり付けることでも悪人を決めることでもない。そもそも事実や真実といった類のものがあると感じていない節まである。(事実というのは人それぞれの感じ方や考え方のかしこまった言い方であり、人間が必ずしも群れとして活動できる訳でもないのと同じように、「絶対」と「真実」なんてない、どちらも同じように信じられないと思っている…のでは無いかと、私は勝手に思っている)
いつでもぶれないその考え方はとても信頼できるし、この現代社会においてとても貴重で、尊いことだと私は思う。しかし共感に少しかける部分はある。実際、だって私悪くないもん!というモードの時に多角的な意見は丁寧だからこそ心に刺さるというか、そうだね辛かったね、から入らないからこの人は分かってくれない!と少し反感を抱くこともある。私は基本感情優位な生物なので統制する時には父親を真似るのだが、それでもそう思ってしまう時はある。いつまでも子供っぽい。
父親の視点は丁寧で、誠実で、多角的だ。自分も早くそうなりたい。

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