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おかげさまで半世紀

気付いたらあと数年で、半世紀と言われる年齢になっていた。15年くらい前にバツイチというものになって、まあまたすぐに結婚するだろうと安易に考えていたけれど、しないまま月日が経過していた。

まだ子供を産める歳の頃は恋愛に悩んだこともあったけれど、そこを過ぎると嘘のように興味がなくなってしまった。遺伝子の継承を諦めた女子はこうなるのかなと苦笑いをせざるを得ない。

仕事にやりがいと楽しさを持ってバイタリティに溢れた独身生活を送っている女性もたくさんいるが、私自身はそういう生活からはかけ離れていて職をコロコロ変えたりしている。日常的には自分一人だけの食いぶちがあればいいのだから、ついつい甘くなってしまうのだ。まだ小学生の子供を二人持つ妹からしてみたら、気楽このうえない生活だろう。子供は可愛いが手がかかることは否めない。

実質、一人暮らしというのは楽チンだ。仕事が終わって帰宅したらまず缶ビールを開ける。適当に雑用を済ませ、一人分の食事を用意してお酒を飲みながら食べる。お酒好きな私は毎日が晩酌なのだ。テレビを見たり、メールの返信をしたり、時に食事を中断して煙草を吸ったりとほぼ居酒屋状態である。自分のことで手一杯なため、寂しさはない。ただこれがいいのか悪いのかは分からない。人間て、やっぱり誰かの世話を焼いているほうが生きる濃度が違うんじゃないかなあなんて考えたりもする。

いつの頃からか、きっと私は一生一人で生きていくのだろうなと思うようになって、経済的な不安が割合を占めてきた。一人暮らしならそこそこ貯めていると思われがちだが、実際はそうでもない。さらに仕事を変えてばかりいるから収入も安定しない。

以前、焦りを感じて急に思い立ち、不要品をリサイクルショップに持って行ったことがある。その中に昔付き合っていた彼から貰ったブランド品のバックがあり、意を決して売りに出した。付いた値段は200円。世の中の相場に対する無知さと、それを後生大事に持っていた自分に落胆して、いざというときの財産はないと悟った。安月給でも毎月安定した収入のあることが一人身の必須条件なのだ。

それぞれのライフスタイルがあって、それぞれに苦労や愚痴もある。誰かといる楽しさもあれば一人でいる気楽さもある。選んでそうなったのか、必然的になってしまったのか、それも様々でどれがいいとは言えない。

ただ、どうなるかは本当に予測ができないのは確かだ。またすぐに結婚するだろうと思っていたのに気付いたら15年。この長い年月、何をしていたんだろうと考えてみても大したことはしていない。やりたいこととか夢とか目標みたいなものがないと、こういう感じになるんだなあとつくづく思う。もう少し若い頃はひどく寂しい日々もあったし、このままどうするのかと悶々とした時期もあった。

でも今はすべてのことが無駄な時間ではないと思える。人と出逢うことを大切にしながら自分の場所作りをしていくのがいい。

人生100年時代と言われている今だから、あと半分も残っている。このあとはどんな生活になるんだろうと考えると予測ができない分、楽しみだ。一人を極めているかもしれないし、誰かと共に生きているかもしれない。来る年月に順序よく対応していく、そんな日々であればいい。

文:美浦 幹

第1回「わたしのノンマリライフ」エッセイ募集コンテストにご応募いただいた方々の中から、美浦 幹さんのエッセイをご紹介しました。

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