390円の小さな幸せ
仕事に疲れた日は自分の中で”何かテンションが上がるもの”を買って帰るという謎のマイルールがある。帰り際にお気に入りのパン屋で美味しいパンを買っていくこともあれば、本屋に足を伸ばして本屋独特の紙の匂いに包まれながら本を買うときもある。
この日の私は「コンビニに寄ってスイーツを買って帰る」だったので、バウムクーヘンと小さなプリンを買った。計390円。
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20代中頃から、"いつ結婚するの?"というよくある親からのプレッシャーを浴びてきた。それは年を重ねるごとに重さが増していって、ちょっとずつ、ちょっとずつ、私の心の中にヘドロのように溜まっていった。
20代後半のある日。元フィギュアスケーターの織田くんがテレビ番組のコメンテーターを卒業する、ラストの日。母がこう言った。
"織田くんはまだ30歳なのに
結婚してちゃんと子供もいるんだもんね〜!"
…なんだろうこのモヤモヤは。結婚してちゃんと子供もいて、の「ちゃんと」ってなんなんだろう?結婚して子供もいるのがちゃんとなの?結婚もしてないし、子供もいないのはちゃんとしてないのかしら?
でもきっと、結婚してなくて子供はいるっていうのは、ちゃんと、って言わないんだろうな、母的に。そんなことを、ものの0.5秒くらいでぼんやり考えた。
私は確かに結婚もしてないし、子供もいないけど、一応毎日出勤して働いて、税金納めて、それなりの暮らしを普通にしている。別にギャンブルにハマって借金作って遊び惚けてるわけじゃないから、そういう意味では「ちゃんと」していると思っているけど。でもきっと、私と母の「ちゃんと」はどこか、違う。
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そんな私が30の誕生日を迎えた日、それまで毎年頻繁にメッセージを送ってき母からはついに何もこなくなった。"何かしら言われるうちが花"とはこういうことを言うのだろうか。
正直なところ、半分寂しく、半分ほっとした。もしかしたら私は母のイメージする"ちゃんとした女性"になれないかもしれないから。もちろん親の気持ちもわかる。けれど結婚してなくても今はそこそこおひとりさまを楽しんでいる、私の気持ちも、いつか分かってほしい。
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結婚したくない、とは思わない。もちろんこれからの人生一緒に歩んでくれる人がいたら素敵だ。でも、だからと言って絶対結婚しなきゃ、とも違うし、適齢期だから、と焦って結婚するのもまた違うと思う。
少なくとも私は幸せになりたいから結婚したい、とは思わない。結婚したからといって全てが幸せだとは思わないし、むしろそこから先の苦労も一緒に超えていくための結婚だと思う。自分の人生を自分で歩んできた延長線上に、これからも一緒に歩んでほしい人がいたら、その時考えてもいいんじゃないだろうか。
少なくとも今の私は結婚もしてないし、子供もいないけど、仕事でモヤモヤした日くらい、自分のために390円の小さな幸せを買うことくらいは許してあげたい。
第1回「わたしのノンマリライフ」エッセイ募集コンテストにご応募いただいた方々の中から、meiさんのエッセイをご紹介しました。