「不便がないから」を理由に停滞していた私の成長体験記 - おひとり時間の過ごし方
自動車教習所を卒業して以来、ずっとペーパードライバーだった。生まれも育ちも東京23区内。運転免許は取得したものの、車がなくても十分に暮らしていける。3分待てば電車は来るし、バスも充実している。駅前に出れば買えないものはない。わざわざ車なんかなくたっていいじゃないかと思っていた。暮らしに不便がなかったのだ。
だが、不便がないという理由は、人を停滞させる。不便がないからと言いながら実家暮らしのまま子供部屋おばさんと化した身として、それはもう痛切に感じている。せめて不便であれば、とっとと親元を離れて一人立ちもしただろうにと思うことも少なくない。とはいえ、そんなのは甘え以外の何物でもないのだけど。
そんな折、両親が車を買い替えた。ファミリー用の大型SUVから、バックモニター付きのコンパクトカーになった。これならば、と思った。サイズも小さくバックモニターも付いているのであれば、自分にも運転できるのではないか。
買い替えの背景にあった、年老いていく自分たちに代わって運転をしてほしいという両親の気持ちも後押しし、その日から早速運転の練習を始めることにした。車のハンドルを握るのは何年ぶりだろう。運転に自信がありませんと意思表示するために初心者マークを貼り、助手席に父を乗せて、おっかなびっくり車道を走る。
路肩駐車に眉をひそめ、車道を走るロードバイクに背筋を冷やし、助手席からは父のため息が聞こえる。最初のドライブは近所をぐるぐる回っただけ。ほんの数十分で終わったというのに、車から降りる頃には膝が笑っていた。こんな調子で、一人で運転できるようになる日など来るのだろうか。絶望にも似た気持ちでため息を吐いた。そんな練習を、月に二、三度繰り返した。
ある日、少し遠くにあるアウトレットモールに行こうと思いついた。電車で行くには遠く、気になるお店があったとしても、わざわざそのために出かけるほどではない。目当ての路面店まで行く方がよほど早いのだから、訪れたことのない場所だった。行くと決めたら、アウトレットモールというのはなんとも魅力的な場所に思えて、事前にあれこれセールの情報を見て胸を高鳴らせた。
できるだけ難しくない道を行こうと、事前に地図を広げてイメージトレーニングをした。ふと、小学生の頃の夏休みに少し遠くにある大きな図書館を目指して地図とにらめっこしていた時のことを思い出した。そういえばあの時の自分も、目印のビルが見えたら曲がるのだと、一生懸命暗記していたっけ。
当日の朝、予定よりも30分ほど早く支度を終える。まるで遠足に向かう子供のようだ。車に乗り、シートベルトを締め、エンジンを確認する。既に慣れた動作のはずだというのに、妙に緊張してハンドルを握る手に力が入る。
住宅街を抜け、事前に確認していたビルの角を曲がり、大通りに合流する。いつの間にか、ずいぶんとスムーズに運転できるようになった。路肩駐車している車も難なく追い越せる。この道は小学生の頃、図書館へ向かった道のりとまさしく同じだった。今日の目的地は、あの頃よりもずっと遠くにある。大人になってから自分の成長を感じたのはどれくらいぶりだろう。
日頃から車の運転をしている人間からすれば笑われてしまうような、ほんの些細な成長かもしれない。それでも、不便がないことを理由に停滞していた自分にとって、誇らしくうれしい成長体験だった。
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第2回「わたしのノンマリライフ」エッセイ募集コンテストにご応募いただいた方々の中から、夜船さんのエッセイをご紹介しました。