自分らしくあるために。結婚しない選択をしたわたしの生きる道
多くのことをいっぺんにできない性格だと、自分のことをそう思っていました。仕事をし、結婚し家庭を持っている「世間一般」の「普通」の女性を見ると劣等感が募り、長く自分を責めて来ました。なぜわたしにはそれができないのかと。
決して都会とは言えない環境の中で生まれ育ち、結婚しないわたしを見て両親は「頼むから『まとも』になってくれ」と懇願しました。まともに、普通に、世間様に恥ずかしくないように、生きる。それがわたしにはできませんでした。
ある日、心の中で線を引きました。常識と自分との間に、両親と自分との間に。そして、多くのことを同時にできないなら、自分ができることだけをやっていこうと決めました。それがわたしにとっては結婚しないという選択でした。生活の中での様々な刺激や人間関係が苦手な性格ですから、自分だけに関わっていればいいという日常は楽で、一番自分らしくいられます。
結婚しないことで、どこかおかしい「訳あり人間」じゃないかと陰でささやかれることにも慣れました。わたし自身、結婚しない人生を選択したなら日々を楽しそうに生きていないと、周りにも自分自身にも申し訳が立たない。そう思っています。
少しずつシングルであることに誇りや自信を持ち、堂々と振る舞えるようになると、「そういう生き方もあるね」と賛同してくれる人も現れました。家庭を持っている女性に対する嫉妬心もありません。負け惜しみではなく、家庭で妻や母として役割を果たしている女性たちを心から尊敬しています。
結婚せず自分らしくあることで、結婚しないことに罪悪感を持っていた頃よりもずっと心に余裕ができました。人のためにドアを開けたり、道を譲ったり、こどもや赤ちゃんに微笑みかけたり……。そんな行動を自然に楽しんでできるようになりました。田舎社会では、上から目線で見られる存在のわたしが、いつしかどこか彼らをまっすぐに同じ視線で見つめていることに気づきました。
ささやかに一人暮らしの部屋を持ち、二つしかない部屋を掃除し、一輪挿しを飾り、お茶を楽しむ。負け犬に映るそんな生活はわたしにとって天国のようです。自由時間にはウォーキングをしたり本を読んだり、旅に出たり、一人でもできる趣味をどんどん楽しんでいます。
わたしが結婚しなかった正当な理由が親戚や実家の近所では必要なようで、一度わたしが婦人科系の問題があると噂が流れました。それにより周囲の人たちは納得してくれ、それ以来結婚しなくてもなにも言われなくなりました。ある世代に人々にとっては結婚イコール出産という図式が出来上がっていることもわかりました。悲しいかな、それなら仕方ないね、と、周りに結婚しないことを「認められた」瞬間でした。それを知り、少し泣きました。
ときどき、選ばなかった「もう一つの道」を思い描くことがありますが、後悔はありません。身体も元気です。結婚はしなかったけれど、女性であることをよろこび、自分のからだを愛おしく思っています。
いつの日か、日本のどんな地域でも自分の意思で「結婚を選ばないから結婚しない」という選択を、心置きなく自由にできる世の中になってほしいと願っています。そのためにも、小さな一歩ですが、わたし自身が自分の選んだ道に自信を持ち、楽しみながら日々を生きることを続けていきたいと思います。
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第2回「わたしのノンマリライフ」エッセイ募集コンテストにご応募いただいた方々の中から、きららさんのエッセイをご紹介しました。