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音楽人生記
私は小さな頃から音楽が大好きだった。両親は小さかった私にピアノ、鉄琴、太鼓などのおもちゃを与えてくれていた。「お寺の鐘が」「ピンクの人と黒い人(トイレのマークの人物について)」という歌を4歳の時に作ったのが最初だと思う。
小学生時代は東向きの窓に面したオルガンを毎日弾いていた。周りのバーの大音量のカラオケの中で育ったので気がついたらメインとベース、両方が頭に入っていた。1年生の時にピアノ教室に通ったが、冷淡でスパルタな意地悪おじいさん先生ですぐに辞めた。私は褒められて伸びる子なんです。3年生ではリコーダーでウルトラマンのテーマやケロっ子デメタンの主題歌を吹きながら登校する生徒だった。そしてロックンロールに目覚めた。横浜銀蝿のジョニーの「ジェームスディーンのように」を聴きながらロマンチックな夢を見た。将来はリーゼントの彼氏が欲しいと思っていた。6年生ではマーチングバンドでシンバルを担当した。
中学生時代はフルートを習った。が、不機嫌な太った男の先生に私の楽譜を(喝を入れる為だったらしいが)破られた時に、私は直ぐに辞める旨を伝えその場を去った。なので楽器は全部独学だ。
高校時代は篠笛を習った。やっと素晴らしい先生に出会えて私は本当に楽しんだ。竹笛の静寂さは本当に魂に染み入る。そして15歳の夏休み。友達のサーファー彼氏の車で夜の海辺をドライブした。寝静まった町をデッド・ケネディーズを大音量でかけながら飛ばして走る車。楽しい友人達。私は「これだ〜!!!」と思った。それまでは私は真面目一筋なカンフー部員で自分に厳しすぎて生きるのがとても辛かった…。でももう分かった!私がやりたいのはズバリパンクロックなんだ!部活をやめ、友人とパンクバンドを組んだ。東京のライブハウスに皆で学校を時間差で早退して、ライブする為に通った。中庭ではバンドメンバーといつも一緒に振り付けや歌を練習した。
19でギター、20でベースを始めた。そして23歳の時に初めてニューヨークへツアーに来た。プロになるのが夢で全員本気だった。CBGBやコンチネンタル、クーラーなどのクラブでのライブは最高だった。空気が乾燥しているアメリカはベースの鳴りがいい。アンプさえつければいつでもロックだぜ!って感じだ。ロックンロールはアメリカが生んだ宝だな。イーストビレッジはすごく自由な雰囲気で沢山のアーティストと交流した。
パンク、フォーク、ハードコア、ロックンロール。私の中にはいつも音楽が流れている。明後日リリースされる新しい手裏剣のアルバム曲は今まで書き溜めたもの達だ。今までライブも録音もされなかった曲達はいつも私の頭の中に未完成のままフワフワと漂っていた。その中には私が30年前に書いたメロディーもある。当時の私の背中を、頑張ったねと現在の私が優しく抱きしめている。