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ツアーの思い出2 オハイオ

オハイオ。「おはよう」と似ているオハイオ。今回は某パンクコレクティブ(地元のパンク達がライブを観に来る場所)での思い出を記そうと思う。元は水道屋だった廃屋を人々が勝手に手入れしたライブ会場だった。もちろん違法である。街自体活気が無く、人通りは全く無かった。バーではないのでアルコールも売っていない。意識高い系の自主制作本は売っている。10代20代の若者達がほとんどで自由でとても活気があった。はしごを登って2階に行くと、スクワッターと呼ばれる勝手に住み着いた人々と彼らの飼っているピットブル犬達がわさわさ居た。ドッグフードが床にばらまかれており、何か分からない怪しげなお注射をしてる人も見かけた。正にカオス(混沌)という感じだった。

トイレはどこかと尋ねると「今壊れてて明後日直す予定。なのですぐそこのマクドナルドに行って。」とのお答えだった。きっといつもの口上なのだろう。パンクス達がぞろぞろと数軒先のマクドナルドにトイレの為だけに行く様はとってもシュールに見えた。そして私も従った。

夜も更けもうすぐ私の出番。私は体とベースのウォームアップと機材の設営を終え、トイレに向かった。丁度12時を回ったところであった。しかし… マクドナルドは何と閉店していた。ガーン。困った…。知らない町(しかもゲットー)だ。どうしよう。

私はその街角にバーのネオンが輝いているのを発見した。「ハイ・クオリティー(高品質)」と書いてあった。若者パンクス達に寄ればそのバーは『30歳以上しか行かない、ジジババのバー』だとの事。余裕で私の年齢なら行ける。善は急げとそのバーに向かった。

(説明しよう。私は以前ニューヨーク、ブルックリンのグリーンポイントに20年ほど住んでいた。引っ越した当時は危険な匂いのする町でポーランド系とプエルトリコ系の若い移民達が何かあれば乱闘し、川に面した我が家の目の前で盗難車が燃やされる様な所だった。私は角に有ったバーの常連であった。バドワイザー1ドル50セント。ウィスキー3ドル。名前があるのに地元の人には「殺人バー」という通名の方が知られていた場所だ。危ない雰囲気は有るが私はほとんどの常連と知り合いだったので危険な目に有った事は無かった。ポーランド人のかっこいい小さなおばあちゃんマダムがテキパキと経営する店は色々な人種の個性的な近所の人が集っており、仲の良い友人もここで沢山出来た。カウンターで私は良く飲みながらノートに歌詞を書いていた。私が知っているバーのイメージはこんな感じ。)

ドアを開けた。中は人でガヤガヤ一杯。全員アフリカ系だった。全員がこちらを見た。凍りつく人々。黒澤映画やウェスタン映画の様なセッティング。男達は私を好奇の目で見て冷やかしわざと聞こえる様に口笛を吹き、「チャイニーズが来たぞ」とひやかした。女達は連れの男達が私に向けた関心に嫉妬心をあらわにして私を冷たい目で睨んだ。新しい学校に転校してきた様な私…。私はとりあえず急いでトイレを使い、そのまま出るのも悪いので一杯だけ注文する事にした。女性のバーテンはわざと私を無視ししばらく時間をかけてやっと注文できた。ウォッカトニックを頼んだら、何とウォッカが90%トニックが10%のを出された。一気に飲めないので居心地の悪い中ちびちびのんでいた。周りはニヤニヤ。

すると、突然ジュークボックスから大きな爆音で曲が流れ始めた。誰の歌か知らないが「Love and light (愛と光)」というフレーズをダンスビートに乗せて繰り返した。私は大好きな言葉が聞けた事で急に元気を取り戻した。「ここに来たのも、このメッセージを受け取る為だったのでは!?」なんて考えたらとても嬉しくなり、今までの不安感が消えた。

それと同時に、人々の対応も変わった。男達はそれぞれ連れの女との会話に戻り、女達からのジェラシーも霧の様に消えた。気づけば心配したバンド仲間が窓の外から手を振って私を出番だと呼んでいた。飲み終わったグラスをカウンターに返し、私はショーに向かった。







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