きみを死なせないための物語第1話感想その4

その4はターラちゃんが登場して3人が揃ったところからですね。
早速シーザーが何やらしています。
現代に置き換えると到着早々自撮りしてSNSにアップする感覚なんでしょうか。個人端末を誰も持っていないコクーンの設定を直接的に描写しているのに、読んでいて当初特に違和感を覚えなかったんですよね。
監視カメラに「シティカメラ」とルビがあるのがとてもにくい。現代でも店内に監視カメラが置かれるのは当たり前になりましたし、交差点などに置かれた定点カメラの映像を一般人が視聴できるのも普通になってきました。それの拡張版でコクーン全体にカメラが置かれるようになった…と考えると現代と乖離した感覚ではないですが、物語開始早々に「監視カメラ」とか出てくるとね、今後どういう使われ方をするのかワクワクしますよね。

アラタたちが夏休みだというのは先に出てきましたが、彼らが国連大学という機関の学生だと説明があります。
国連とあるだけあって国際機関が存在し、おそらく他の大学もあり、彼らがエリートなのだと推測ができます。冒頭に「小学生」という単語も出てきたことも併せて、コクーン社会においても人々が集合する教育機関があるのだろうとわかりますね。
そしてこの設定、もし連載が新型コロナが流行した後に始まったらどうなっていたのか興味があります。閉鎖空間で変異ウィルスの大流行とか、それだけで一つの作品になりそうです。

そしてここで「親友」に「パートナー」とルビが振ってある理由が説明されますが、「そういうパートナー制度がある」としかわからないですね。それでも「契約」の制度があってそれが15年も続いている。というか「親友」すら契約で成り立っているところがディストピア感がるなあと当時思っておりました。

後やっぱり語りたいのはメンデルさんのくだりですね!
周囲には彼らが「ネオテニイのF3とF4」という記号で捉えられていて、さらに「良質なネオテニイ」が求められている。「F4 ARATA」「F3 CAESAR」「F3 TARA」と大文字で呼ばれている描写や、表紙での白服も合わさって、ネオテニイという存在がコクーン内では特別であると当時に実験動物的な視線で見られているようにも思えます。そしてそれを当人たちもわかっている、と。

監視社会、宇宙、実験的な新人類、と思いっきりディストピアなSFぽさ満開で次のシネマシーンに移るのですが、その途中に描かれる地球ですよ!!しかも「旧人類が大好きな地球」ですよ!!
しかもシネマコクーンの入り口と同じコマですよ!!
完璧に伏線でしたよね!!!
ここね、38話で木星圏内だったことがわかって読み返してテンションおかしくなりましたよ。「旧人類」の大好きな「地球」は「シネマ(映像)」ですよって言ってるようなコマですものね。しかも表紙以外では初登場の地球なんですよ。
それにこのコマでの「旧人類」に「かあさん」とルビがあるのもすごく美味しい。このかあさんはこの後で出てくる母親ですよね。血縁の父親も旧人類であるのにあえて「かあさん」。ここもちゃんと意味があるのが後でわかって嬉しかったポイントです。

続きまたは次回!