ドッグランは世界の縮図
私の職場の実に8割が犬を飼っている(30人中24人)。
猫派の私では肩身が狭すぎる。辞めそう。
休憩中は当然、話に花が咲く。
そんな咲き乱れている間は傍に入る私の猫撫で声など一切通用しない。…いや、遠吠えなんて良くはない。
何やら「ドッグラン」の話をしている。
犬を走らせないと夜の寝付きが悪いらしい。
どうも人間の子らしい。
ドッグランでの犬たちのコミュニティではやはり国境に壁があるらしく日本の犬種と海外の犬種は打ち解け合うまでに時間がかかるらしい。
私「言葉が通じないからじゃない?」
一同「え」
…。
犬経験値ゼロは口出すなだそうで。いや普通に考えて日本種と海外種の隔たりなんていえば「言語」でしょ。さもなくば「風俗」か。また単に外国犬と言っても例えばA国犬とC国犬はすぐに仲良くなるのだろうか。
ところで、ドッグランでは「おもちゃ」の持ち込みが厳禁なようで。
おもちゃなんて一度でも投入しようものなら全員が「え?何それ」と。たちまちに「貸せ!ゴラァ!!」の犬模様が繰り広げられると。
鑑みるに、やはり世の中には「喜び」などと言うものは不要なのではないか。
地味で平凡な毎日こそが平穏で、退屈があるからこそ”ヘイワ”であって。そんなヘイワの中にアダムとイブのリンゴよろしく”オモチャ”などと一なる要素が放り込まれれば阿鼻叫喚。”ヨロコビ”のショータイム。
まあ、とは言うものの「おもちゃも何もない」ただただ細長い広場に放たれた犬たちに喜びはあるのだろうか。
きっかり走るらしい。
隅から隅まで。そして夜はぐっすり。
喜び云々というよりも、それって「走っている」のか「走らされている」のかと疑問に思ってしまう。そうこう思案していると次第に犬云々ということでもなくなってくる。
競馬の競争馬
まわし車のハムスター
早速ググった。
競馬の馬は走ること自体は得意であっても走ることが好きか嫌いかは馬によるみたい。ごく人間と同じだ。コミュニケーションで成り立っている部分が多く、騎手の鞭は痛いからダッシュするわけではなく、合図として受け取って馬自身の判断でダッシュするみたい。開始前のファンファーレを聞いて武者震いをする馬もいるのだそうだ。
ハムスターのような齧歯類は習性として一晩で約10kmを走って餌を探すみたい。しかも彼らはなんとランナーズハイになる仕組みなのだそうだ。なるほどそうしないと食べられてしまうからか。子孫繁栄と似ているか。
どうも物事というのは「走っている」「走らされている」の二択だけで済むような話ではないのかもしれない。だったら人間だってスポーツジムのランニングマシン、結局あれが「走っている」のか「走らされている」のか…誰の知る由もない。
「よそ様」のやることはどうしても分からない。ググってもヒットしない。分からないことに自分の主観を挟むのであれば、それはただのお節介か。だったらそんなことをしていないで今やるべきことを…やるしかない。
私は疾る、前を看る。
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