単に「ノンセク」といっても
そもそもノンセクシャルに関する文献や資料が少なすぎる。それほど少数派なのだろうか。
一言に「私はノンセクです」といっても、身体が触れること全般が嫌だという人、私のようにキス•ハグは出来る(むしろしたい)けどセックスは無理という人、性欲自体はある人、性欲も全くない人、将来的に子どもが欲しい(=セックスせざるを得ない状況を受け入れられる)と考えている人、子どもはいらないと考えている人…etc.
これら全てに名前をつけていたらキリがないけど、同じ枠組みの中でこれだけ感覚の差があるというのも大変なものだろう。ただでさえ理解されにくいセクシャルなのに「ノンセクです」の一言だけでは当事者同士でも一発で互いの心情を理解し合うことは難しいのだから。
「恋愛感情は抱くが性的欲求は沸かない」
これが一応ノンセクシャルの定義。
一般的には、恋愛感情の先に性的欲求があるのだろうか。2つは一直線上にあるようなイメージ?
私は完全に 恋愛感情 と 性的欲求 は切り離されているので、相手のことが好き=エロいことをしたい、にはならない。でも、そうなると一つ疑問が浮かんでくる。
どこからが性的欲求になる?
キスやハグは恋愛感情になるのだろうか?それとも性的欲求になるのだろうか。私の中では服を脱いだその先を求めることが性的欲求だと認識している。キスやハグは恋愛感情の延長線。
恋人はキスやハグが好きじゃないと言う。だから当然その先に進んだこともない。
つい最近までそれについて不安を抱き、悩んでいた。私のことそんなに好きじゃないのかな。好きならキスぐらいできるでしょ…と。
だけど、彼がもしもノンセクだとして、恋愛感情が「一緒に日常を過ごす」とかで、性的欲求が「身体が触れること全般」とかだとしたら?
恋愛と性欲、それぞれの境界線が私と違うだけで、言っていること自体は私と変わらないことになる。
"好きならできるでしょ…"
己が散々人に言われたくなかった地雷ワードを無意識のうちに彼に向けていた。そうか過去の恋人や相談した友人はみんな私に対してこういう目を向けていたのか。
恥ずかしながら、反対の立場に立って初めて多数派の視点を理解した。
それでもキス・ハグ=愛情表現という感覚は私の中であるため、寂しさを感じることはあるし、いまだに不安に思うこともある。相手が自分を想ってくれている確証がない中で付き合い続けるのは想像以上にしんどいものだというのもこの数ヶ月を通して実感した。
だけど無理なものは無理なのだ。「好きだから」で片付けられない何かが心の中に存在する感覚は、私が誰よりも理解しているはず。
決して彼から自分はノンセクだとカミングアウトされたわけではないけど、好きだから信じたいし、好きだから尊重したい。これは紛れもなく私の中にある彼への恋愛感情ゆえなのだろう。
とはいえ、なんとなくお互い性的な話を避けて過ごしてきたため、このような話題に2人で向き合ったことがない。互いをより理解するためにも、機会を設ける勇気も必要かもしれない。