190812mon 形を変えるもの
姉と兄から何度も何度も「お盆は帰るのか?」と連絡が来た。「こないだも言ったけど... 」「お兄ちゃんにも言ったけど...」と帰る旨を繰り返し伝える。
母も亡くなり、父も亡くなり
家族が徐々に減り
わざわざお盆に集まってご飯食べなくてもいいんじゃないか?と正直思う瞬間があった。
だけどその都度、本来のお盆の意味を思い出す。
昨年か一昨年、父親から突然「今年からは、盆と大晦日は皆で集まらずそれぞれ食べたいものを食べます。だから帰って来ても帰って来なくてもどちらでもよいぞ」とメールが来た。家族仲は良いけど、二世帯に気を遣ったのか、はたまた純粋に準備が面倒になったのか。まぁ、今の家族の形に合っていて良いのではないかと思った。
そうだった。
増えたり、減ったりしながら「家族」というものは形を変える。
形を変えながら、そこに「ある」。
その変化をまだ受け入れられずにいたけれど、今の私たち家族の形が、これだ。
まるで生き物だ。
お盆休み中、友人とランチにも行った。
治療中のエピソードなんかを面白おかしく話していたら、友人は笑いながら「カズミは治るわ!」と言ってくれた。そうでしょうよ。
これまでも、できるだけいつも通り明るく接しているつもりだったけれど「病気が確定する前の方がつらそうだった。私もつらかった」と言われて、ハッとした。彼女は私の癌が宣告された日に、仕事を早退して病院に来てくれた友人だ。彼女もまたつらかったのだ。
最近読んだ本に
「悲しみは事実が確定した時点をピークにして増殖が止まる」
という言葉があったけれど、まさしく。
悲しみはそこで増殖が止まり、後はやるべきことに目を向けるだけだった。
つまり、とにかく意地でも治して、元気にならないと。