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無意識に忘れて、意識的に思い出して。

最寄駅まで徒歩25分の道のりを、ダッシュと競歩を掛け合わせなんとか5分の短縮に成功した。とめどなく流れる汗。渇く喉。自動販売機に歩み寄る私。

こうした時にふと思い出す。私たちは便利を受け取る代償に、物事の「前」と「後」を考えることを忘れてしまう

自動販売機に歩み寄った私は、25度を越える暑さの中を歩く(または走る)ことを想定していたのにもかかわらず、その後喉が乾いて仕方なくなることまで考えが至らなかった。結果、水筒を用意せず、ペットボトルの水を消費することになった。

安くて可愛いファストファッションの購入もそうだ。自分の購買欲は満たされる。財布も喜ぶ。しかし、劣悪な環境で働いている人や着用した時の体に対する影響、長く使えるか等の視点を忘れている。

こんな風に考えるようになったきっかけは、去年屋久島のリトリートに参加して、コンポストトイレの存在を知ったり、目の前にある全てのモノが「自然の恵み」であることを感じたりできたことだった。

私はそこから、自然に還る生き方を意識した。はずだった。でも、目の前のこと(お金がないとか)を対処するのが大変だという言い訳をして、いつしか忘れてしまっていた。

ここ4ヵ月、私は週3回しか働いていない。あとの休みの日はほぼ引きこもりっている。しかも消費型の趣味ばかりしている。それがいいか悪いかは置いておいてほしい。でもそこで生まれた副産物が、物事の「前」と「後」を考えることを思い出すことだった。

人は、時間にも心にも余裕があると、考えてしまうものだ。

世界中で異常気象が観測されて、日本でも珊瑚が白化や連日の猛暑が取り上げられるけど、どうしてみんな他人事みたいなんだろう?

私はこんなことを布団の中でゴロゴロしながら考える。もちろん自分のことも棚に上げている。でもどうしてだろう?本当に困っているなら、何か行動するべきなんじゃないか?そんなことを思って調べていたら「エシカル」という言葉に出会ったのだ。あぁ…これは…!思い出したのは、屋久島の森だった。

それからは、ファンデーションを塗らない、オーガニックコットンを買う、レジ袋をもらわない、モノはなるべく長く使う、中古品を買う、スマホばかり観ない、7時間寝る等できることをするようになった。

人間は忘れる。大切なことも。完璧なんてありえない。ペットボトルも買う。安さに流されることもある。だから、思い出せばいい。ペットボトルを買って、後悔すればいい。次の日はちゃんと水筒を持っていけたら素敵なこと。そして、自然とともに生きていることを忘れないように、心の中に森を育てられるように。少しずつ。

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