必要とされる喜びに溺れてもいいじゃん
何のスキルも持たず、何か極めるでもなく、自分のことがわからないと甘い言い訳に逃げて、仕事を転々としている。もう27歳なのに。履歴書の経歴が長い選手権があったなら、表彰台に立てるのになぁ。
自分がわからなくて自己探究を存分にしてきた。動物占い、数秘術、ストレングスファインダー、16タイプ性格診断、VIAテスト、エニアグラム。私はこういう人間!というラベリングをペタペタと貼る作業は楽しい。が、それを活かして行動ができていない自分に気づいて自己否定してしまう。結局あまり前に進めていない気がするのだ。
通算726528回目の仕事探し(な気がする)。やりたいことで選ぶのは得策でないことを学んだので(理想が高すぎる)、今回は「頑張らずにできること」「嫌ではないこと」で「興味がある分野」に絞った。絞ったはいいが、そんな仕事がごろごろ転がっているわけがなかった。興味の範囲は広いが、できることと我慢できる範囲が狭いだった。てへぺろ。
そんな時。うちで働かないかと声をかけられた。その人とは島のリゾバで働いた時から仲良くしてもらっている。好条件を提示され、心が揺らいだ。しかし、もう水商売はやらないと決めたし、夜は0時前に寝たいし、また親を悲しませるし、お金は必要だけれど、就活から逃げるような選択に思えてならなかった。
悩んだ。接客やお酒を飲むことは「頑張らずにできること」「嫌ではないこと」にあてはまる。人には興味もある。社会的な立場はどうであれ、適職なのではなかろうか。そして何より「人に必要とされること」は人間の欲求である。
一方で「あなたが必要」という言葉の裏に、汚くて醜い感情がうごめいている場合もあることも知っている。「あなたのため」と言いながら自分の都合のいいように「人を使う」クソ人間に振り回されたことがある。私は人を信用しやすい。
私を必要としている理由は何か、深く聞き出した。
結果、お客さんを呼ぶとか売り上げを上げるとかではなく、働く人同士のコミュニケーションの仲介(平和主義だから伝え方や根回しを考えるの得意)、臨機応変な接待(誰にでも楽しくいい感じに話すの得意)、改善点の報告(リサーチするの得意)であった。つまり、必要とされる理由が私の強みに由来するものであったのだ。よく見てくれているなと感心した。
というわけで、必要としてくれる喜びをかみしめて、必要としてくれる人を信頼して、来月から島に行ってきます!