消費税を知った日
今日、5月10日。母の日だ。
私は母の日にいつも手紙と花を母に送る。
そんなことを始めたのは確か小学生1年生の時だったと思う。この頃、お小遣いをもらいはじめた私は母の日に何かプレゼントしたい。そう思っていた。
駅前のお花屋さん。いつも祖母とお花を買いに行くお花屋さんだ。そこで500円と札に書かれたカーネーションの鉢植えに目を止めた。私はこれだ!とひらめいた。
その頃の私は1人で買い物をした経験は1回だけだった。人見知りだった当時の私にとって、花屋への買い物は大冒険だった。
母の日当日、「友達の家に行ってくる」と嘘をつき、内緒で500円を握りしめてドキドキしながら花屋へ向かった。
お花屋さんのおばさんはいつも祖母とくる私の顔を覚えてくれていた。
「今日は1人なの?」
私はこくりと頷き小さな声で「これください」とカーネーションを指差した。
お花屋さんは「お母さんにかな?」「525円です」と言った。
わたしの頭の中は
「?」
でいっぱいだった。
「500円じゃない。なんで?」
当時の私は消費税を知らなかった。
「500円じゃないんですか?」
と小さな声で尋ねた私に「ごめんね。消費税入れて525円なの」とお花屋さんは言った。今思えば小さく税抜と書かれていた。
「足らないからまた来ます」と家に戻ろうとしたところお花屋さんは「いくら持ってるの?」と私の手を覗き込み「500円でいいよ。おまけ」と言ってカーネーションの鉢植えにリボンをつけてくれた。
消費税を知らなかった恥ずかしさとお花屋さんの優しさが伝わって心がいっぱいになった。
その優しさが嬉しくて20年経った今でも花を買うと言ったらこのお花屋さんだ。
母の日、祖母の誕生日、自分へのご褒美。
そして専門学校の卒業式に先生に4年間のありがとうをこめて花を渡そうとクラスで決めた時もこのお花屋さんにお願いした。お花屋さんは卒業式当日、わざわざ学校まで届けてくれて「おめでとう」と伝えてくれた。
最近は忙しくて母の日と祖母の誕生日くらいしかお花屋さんに行けてないけれど行くたびに「今日は誰に?」と聞いてくれる。
些細な会話でもこうやってちょっと話せる顔の見える関係で暮らすのが私には心地よい。
小さい頃の夢
私は小さい頃、よく地図のような、町のような絵を描いて、それに人形を歩かせて「ごっこ遊び」をよくしていた。そのごっこ遊びにお金は存在しない。物々交換の世界だ。
そこに描かれている八百屋さんや花屋さん、レストランやスーパーはみんな友達で小さい頃の私は「みんなが友達だったら戦争も起きないし、お金がいらない世界で生きられるんじゃないか」と本気で考えていた。そしてそんな人の繋がりもきっと求めていたんだと最近は思う。
私が働いている会社はこの4月から新しく開所した看護小規模多機能の中に地域交流スペースという誰これる場を作った。そしてそこに子供用のボルダリングの壁を作るということになった。
私がいつも趣味でお世話になっているボルダリングジムの店長さんに相談をしたら壁にホールド(ボルダリングで登る石)を取り付けるところまで手伝ってもらえることになった。
そんな店長さんにホールドをつけてもらってるのを眺めながら今の私、子供の頃、夢に描いてた生活に近いことが出来てるなぁとしみじみ思った。
例えば、ボルダリングジムや職場関係で出会った人たちの職種は美容師やバリスタ、料理屋さんや医者、看護師、リハ職、IT関係、エンジニア、建築関係、整骨院、トリマーと様々だ。
今ではそんな仲間のお店でご飯を食べたり、髪を切ってもらったり、コーヒーを飲みに行ったり、整骨院で体を整えてもらったり、犬のカットを頼んだり、逆にそんないろんな繋がり、出会いから私の働いている職場に就職してくれた仲間もいる。
そしてボルダリングから派生して古着が好きな人と古着部を結成して古着屋巡りをしたり同じように家具好きな人と家具屋巡りをしたり、料理や食べることが好きな人たちと食いしん坊の会と題してホームパーティーを開いたり、サイクリング好きな仲間たちとチャリンコ部を作ってサイクリングをしたりと色んな経験をさせてもらっている。
顔の見える関係で暮らすのは、いろんな場所で些細な会話ができる温もりをくれる。そしてなんとなくどこにいても誰かに見守られてる優しさや困った時すぐに助けてと言いあえる安心感を与えてくれる。
これからも友達、周りの人たちを大事にして人との繋がりを楽しみながら生きていきたいな。
そしていつか私も恩送りができるといいなぁ。
読んでいただいて、ありがとうございます。 自分のために書いた文章が 誰かの心にも何か残ったら嬉しいです。