通院日記Part. 3 耳の手術をしてきました!
みなさん、こんばんは。NOZOMIです。
本日は手術記録になります。
2020年5月より真珠腫性中耳炎の治療のため、多い時は1ヶ月に1回、少ない時は3ヶ月に1回くらいの間隔で総合病院に通院していました。
なんと家から片道2時間。
2時間ですよ!!!???
なかなか堪える距離です。
そこまでして通うのには訳があって。
町医者が私たちの健康を守っている
先生は私の耳の健康だけでなく、この耳で生きていく私の人生まで考えてくださいました。
「少しでも聞こえる」人生を私に与えようとしてくれました。
「この病院がかかりつけ医でよかった。」
と、ただ、ただ、感謝。
花粉症で病院に行っただけなのに、耳まで覗いて、検査して、病気発見してくれた先生。本当にありがとう。
町医者が、私たちの健康を見守り、病気の早期発見に貢献してくださっていることを痛感しました。そして、信頼できる大きな病院にバトンパスをしてくれたおかげで、自分自身の病気ときちんと向き合い、その後の治療に対して前向きになることができました。町医者ってこんな素敵なところだったんだ!!!
主治医は忙しい
といった訳で、今の総合病院へ。
2021年4月より
新社会人として働くようになり、ストレスもあってか病状は悪化。「ストレスは万病のもと」って本当ですね。無理はいけません。
2021年12月
右耳弛緩部の真珠腫を取り除く手術をしました。
予防的手術のはずでしたが、開いてみたら、思ったよりも大物が中耳に潜んでいたようで。
想定外という意味では、先生泣かせの手術だったのでしょうか。
手術室に11時チェックイン、13時半チェックアウトの予定でしたが、
大幅に伸びて、実際には、
手術室に11時チェックイン、15時半チェックアウトとなりました。
先生お疲れさま。そして、ありがとう。
後遺症として、一時的な味覚障害と聴力低下がありました。
術後2週間で右耳の聴力は40dB程度でした。
術後間もないのでまだ耳閉感があり、術前より聞こえづらい自覚もありました。
術前は25〜30dB。術後半年程かけて様子をみていく必要があります。
聴力が改善されることを祈るばかりです。
手術をして分かったことは、主治医にはほとんど会えないということ。
レジェンドは忙しい。だからここで言おう。
私の頭切ってくれて、ありがとう、先生!
そんな私の主治医は後輩医師の育成に尽力しています。引退も近いのでしょうか。どうかもう少しだけでも、耳の手術第一線で活躍してほしいものです。
耳が聞こえない医師
どうやら主治医は耳のスペシャリストとして、有名な先生なんだとか。先生が回診する朝は、耳鼻咽喉科の皆さん勢揃いでした。
後期研修医くらいの若手からベテランの先生まで代わる代わる私の耳を診てくださいました。
中でも印象的だったのは耳が聞こえない医師です。
「差し支えなければマスクを外してくださいますか」
と言われて、重度難聴者だと分かりました。
真っ直ぐストレートで、実直な声でした。
よく見たら、両耳にスタイリッシュな補聴器が。
この人すげえ。と思いました。
その医師の人生について何一つ知りませんが、私にとってただひたすら尊く儚い存在でした。この人にどんな困難が降り掛かろうとも、どうかたくましく耳鼻咽喉科医として生きてほしい。このデフ先生から、ナンバーワンを追求するオンリーワンが最強だということを学びました。そして、自分の耳と今ある健康を大切にしようと思いました。
敬意を込めて。
がんばれデフ先生!
目標
幾つになっても目標を語れる、そして実現できる大人になりたいものです。
これが主治医の目標だそうで。いやぁ応援したい。難聴児の早期発見と早期治療、耳の治療を専門とする医師や言語聴覚士等の養成、人工内耳・補聴器の進歩によって、聾で生まれても聞こえて話せるように。また、聾になっても聞こえて話せるように。そして、なるべく長く聞こえて話せる人生を送れるように。そんな世の中に近づくように、今回の手術記録をここに残しておきます。
最後に
自分が経験した一つ一つの出来事にどんな意味を付けるかはその人次第です。けれど、人生みんないろんな苦労をしてきているわけで。私だけじゃないし、貴方だけでもない。努力や苦労があるのは当たり前で、それらが糧となりその人の魅力を創り出しています。
もしもあなたが尊敬できる人や信頼できる人に出会えた暁には、それは本当に幸せなことなんだと思います。だから、こうやってきちんと記録に残しておくことで、自分で自分の幸せを噛み締めることになって、書いているだけでただの人間なんだと再認識できます。世の中には、やはり面白い人がたくさんいるなあ。さあ、私も命燃やして、働こう。活動しよう。
さあ、今日も良い1日を🌿
NOZOMI