高市皇子
『山吹の立ちよそいたる山清水 汲みに行かめど 道の知らなく』
高市皇子は天武天皇の皇子。
天武天皇と額田王の皇女、十市皇女に想いを寄せていたみたいだけど、皇女は天智天皇の皇子、大友の皇子と結婚しました。
十市皇女が亡くなった時に詠んだうたです。
2003年3月、妹と山の辺の道のこの歌碑を尋れました。
この頃、妹が押し花を習っていて、私のつたない習字に(後に間違っている所に気づきましたが、あとのまつり、大目に見て下さい。)
山吹の押花をしてくれ、これをハガキにして友人達に配りました。
母の友人のおばさんは、私達姉妹をとても可愛がってくれたのですが母が亡くなった後は、年賀状のやりとりだけになっていたのですが、このハガキを送ったのが9月頃だったかしら
おばさんから、今入院していると連絡がありました。
妹と何回かお見舞いに行き、半年後位に亡くなりました。
息子さんから連絡があり、臨終に間に合い、看取ることが出来ました。
何だか、このうたが引き寄せてくれた様に思います。
そして、70代になって、同級生から歌碑を尋ねる旅をしたいと頼まれ山の辺の道を案内し、この歌碑をもう一度尋ねました。
思い出深いうたです。
次は、志貴皇子
※見出しの画像
山の辺の道美化促進協議会発行のパンフレットより