人と少し違う道を取ることと、人間関係
私は30歳前後で、自分が自分のまま生き続ければよい、という事をようやく理解した。
それまで、勿論親に甘やかされて好き勝手に生きてきた訳だけど、どこかで、自分が誰かに認められたい、とか、必要とされたい、と思っていたと思う。
もっと言うと、誰からも好かれたくて、好かれている自分が好きで、そのために人が何に興味を持つのかを聞いて回ったり、色んな人と仲良いふりをした中高時代を経て、当時の結論、中身のない人間は誰と深くなろうにもなれない(話す話もない)と感じ、大学ではなりふり構わず自分がいいなと思う学問を追求しようとして挫折し、結局自分て何なんだろう、どんな価値があるんだろう、空っぽな感じ、という気持ちで就職して、求められるだけ働く、、みたいな生き方を送っていた。
当時の私は、何者でもない私でも何か出来るという謎の達成感みたいなものを感じていたし、何も考えずに没頭出来る仕事というタスクに逃げていたし、なんやかんや知らない事を知り、自分がその道のプロ、のようになっていく感覚がすごく楽しかった。ようやく私にも語れるものが出来たような感じがして嬉しかった。そして働く、生きる、ということはとても辛くて、でもその中で少し楽しい事がある、というのが人生なのだ、と自分に言い聞かせていた。良い意味で諦めていたから、不満が大きかったかというと嘘だけど、人生そんなものだろう、と自分で人生を選択することをせず、なされるがままに生きていた。
ただ、コロナの時期前後に少しそういう環境から物理的にも離れる機会を得て、また、周りも自分の人生に責任を持って歩んでいる人たちに囲まれる経験をして、自分の人生へ無理やり意味づけをしようとすること自体が無意味なことだと気付いた。そして自分の人生に自分で責任を持って歩む必要があることをその時に改めて思った。
一度気づいてしまうと、もう気づく前の自分には戻れなくて、求められたり評価してくれた事に生きがいを感じて働いていた職場とか、付き合いで継続してた関係とか、そういうものに拘束されるのがしんどくなってしまった。
一度、そういう枠から出てみようと思って、自分なりに少しだけ道を外してみた。
道を外すと、良いことも悪いこともある。
大学時代にも同じ経験をした。
道を外す経験は、道を外して2年くらいだと、あえてその道を選んだ、つまり人と違うレールを選んだ自分を肯定できなかったりもするんだけど、10年もすると、あの時この経験してたから今があるんだな、と思えるようになる。というか、そういう風に道を外れた時のお土産が、後々帰ってきたりする。
12年前、道を外れた時に得た価値観や考え方は残っているかと言われると微妙だけど、確実にその経験があるから今の自分の人生が出来上がってるし、それがない私の人生は正直想像できない。
だから今、少し人と道を外れて感じるもやもやとか、悲しさ、みたいなものは、代償というか、その分私は何か別のものを得たり、得る予定なのでしょう。と思うことにする。
し、今はそれを自分の人生として選択した事に誇りを持って受け止めたいなと思う。
そもそも、そういう孤独感のような気持ちは、多かれ少なかれ、生きてて誰もが感じるものなんだろうな。