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丘の上のミニミニ図書館は館長の好きな本だけ置く話。

昨日は夏の思い出をやっとこさ書き留めた館長です。
いつまで暑いんだ、なんて言っていたのはついこの前なのに今朝のニュースでは師走なみの寒さになる所も?と聞いて娘とビックリ。

さて、お披露目会も終わり11月1日をスタートの日と決めてからもじっくりと焦らずことをすすめておりますが。

だって、スタートしても図書館に人が列を作るなんてことはないだろうし。
呑気なかまえです。

どちらかと言えばゆっくりと人と出会いたいのかもしれません。

そんなことを思いながら先日お披露目会に来てくれた方の紹介で私よりも
もっともっと前に「おうち図書館」を運営していた大先輩に会いに行きました。

これがなんと、めちゃくちゃ近所なこともミラクルな気がしてならない。徒歩10分圏内ですよ?

私の生まれた昭和47年ころ、今住む地域はまだ家がそんなに建っておらず、新しくどんどん人が住んでいった町。そこに子どもが大好きな先生がおられたとか。

今は亡くなられて、奥様が旦那様の想いを引き継いで子ども達に本の世界を伝えてくれています。

ご自宅の一室が図書館になっていて、地下の書庫にはなんと700冊以上の絵本や他にも先生が学んでいた源氏物語の本、芥川龍之介の本がずらりと並び紙芝居も綺麗に整頓されてものすごい量が保管されています。

私も娘も見せてもらってスケールの大きさに驚愕。
そんな私たちを奥様は笑顔で迎え入れて下さりました。

初めて会う私が少しインタビューすると当時もテレビ局の方が取材にきたこともあったけど私たちは不特定多数の方に知らせるよりも今目の前の方と本の交流をしていきたいと思っていたので、、とそこまで聞くと

娘の「この本だいすき!」と言う声が聴こえます。すると奥様は私に向けていた表情から一気にやわらかな笑顔で声高く「どれどれ~あぁそれね!そっかそっか」と話しだしました。子どもに向けるまなざしを見ればすぐわかります、その方がどんな人なのか。

それから、ゆっくりと私たちは奥様と先生、そして私に紹介してくれた近所の方が昭和40年代、約50年前の子育てや学校、図書館の話を聞かせて頂きました。

奥様は言いました。
「司書ではなく、普通のおうちのお母さんが自分の好きな本を子どもに届けるのがいいのよね」それを聴いて私は自分のミニミニ図書館は狭くて少ししか本は無いこと。そして私は本を読むのが苦手だが好きな本はじっくり読み大切で、しかも人にすすめたくなることを伝えると。

そうよね、いいじゃない。それでいいと思うわよ応援しているわね。と返してくれました。

その日は、紹介してくれた方がカレーパンとプリンを持ってきてくれて4人でカレーパンほおばりながら本の話をしました。

亡くなられた先生は泣いている子を見るとサッとポケットから折り紙をだして何かを折って泣いている子の手に折り紙を置いて、子どもが泣いているのが見ていられない人だったそうです。

奥様にひとつ聞きました。今、不登校や学びづらさで悩んでいるお子さんについてどう思われますか?

すると「子どもに病名などをつける前に目の前の子の今を、そしてこれからをどうしたらいいかを考えてあげてほしい」とおっしゃっていました。

子ども達が自分で本を手に取ってくれたら、もうそれだけで御の字よ。
そんなこともおっしゃっていました。

私は地下の書庫で「子ども白書」という本を手に取り、ぱらぱらっとめくると亡くなられた先生が線をひいているページに目がとまりました。そこにはこんなことが書かれています。

「文庫も図書館も目的は一つですが、文庫には血の通った暖かいキメ細かなサービスがあり、権力に左右されない自主的な存在であるという特徴があります。」

「いつの時代も、目覚めた人の訴えと実践が、時代の要求の真意を組みとり、創造的に発展させるきっかけをつくります。」

先生はもう天国にいるけれど、私は先生に導かれたかのような気持になり、
「このページ写真とってもいいですか?」と思わず声をあげます。

しばらく他の本棚も眺めているとさっきと同じ本があり、奥様が良かったらあげるわとおっしゃってくれて私はその日、天国の先生が読んでいた本と共に家に帰りました。

私の生まれた昭和40年代にも自宅を図書館にしていた人が、あなたの好きな本だけ置けばいいのよ。そうでないとおススメできないものね。

そう言ってくれたこと。
これは今後自分が「丘の上のミニミニ図書館」を続けていくうえで大事なコンセプトになりました。

長くなりましたが、お読みくださってありがとうごさいます。
次回は利用方法などについて紹介できたらいいなぁと思っています。

ではまた。

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