目の前を直視して生きる。
最近スピリチュアルについて考えるの疲れたなぁと思う。
波動を高くするために、心を豊かにするために色んな方法を模索するのが気持ち的に大変。
スピリチュアルにハマったきっかけは「幸せな毎日を過ごしたい」とか「絶景を見たときの感動を常に味わいたい」とかそんなことだったんですけど、
それについて考えれば考えるほど今どうすればいいのかわからなくなってしまうという。
それで今日は幸せについて考えてみた。今の自分を肯定するための幸せ。幸せの定義は人それぞれ違うと思うし。ネット上で誰かが声高に言っていることが私にとっての幸せかどうかは限らないし。。
しあわせとは
「目の前のことを直視できる毎日」
これなんじゃないかと私は思う。
例えば、鳥。うーんと、じゃあ、ツバメにしよう。
ツバメは毎日目の前のことしか見てないから、幸せについてわざわざ考えたりしない。
わざわざ考えないけれど、でも「今を生きてる」という気持ちは持っていると思う。
お腹が空けばごはんを食べるし、眠たければ寝るし、休みたければ休む。
・・・書く手が止まりそうです。(笑)人へのつなげ方が迷子になりました。
一旦ツバメの話は置いておきます。
人は動物にはない「想像」という能力を使うことができます。
不安を避けようとして、事細かに将来の不安、将来の最悪な状態を脳でシュミレーションして映像化する。
そうするとなんと、その最悪な状態の時に起こるであろう感情が今の身体で再現されてしまうのだそうです。
でも、たしかによく考えればそれはそうだなぁと思います。
目の前に青空が広がっていたとして、でも頭の中が不安の妄想でいっぱいだとしたら、きれいな広い青空は見えていないのと同じ。
脳が認識してくれないと青空は存在していないのと同じ。
目の前を直視して、美しいものを美しいと感じ取れる毎日をおくりたい。
明日はない。過去も存在しない。
今をよく生きれば明日はわくわくする日になるし、過去は楽しかった思い出になる。
…目の前を直視できるようになりたい。
書くの疲れてきたなぁ。でも書き切りたいなぁ。
目の前を直視するためには、まっすぐなエネルギーを向けられるような好きなことを仕事にできたほうがいいのかなぁなんて思ったりもするけれど、
でも好きなことを仕事にする勇気はない。
例えばピアノを弾くのが好きだとして、でもそれを仕事にするのは難しいような。。
ピアノが好きかつ人に教えるのが好きだったら、ピアノの先生になるかもしれない。
でもただただピアノを弾いていたいだけで、それでお金をもらう。。うー分かんなくなってきた。
好きなことのためにお金を稼ぐっていうのはどうだろうとも考えた。
でも気が付いたら将来のために必死になりすぎて、それで疲れてしまって、好きなことをする余裕がなくなってしまう。
今noteを書くのにも「こんなに時間を使ってもいいのか」という不安と共にいる。
今の時点では書き切れるかどうかも不明だし。
でも今日はラジオじゃなくて文章にしたいとなんとなく思った。
でもでも、今の時点でやりたいことを優先しているから、それはすごく自分を褒めていいことだと思う。
よし、やっぱり好きなことをするために、生活をおくるために勉強を頑張ることにする。
その勉強が将来あまり役に立たなかったとしても、それはそれで今集中しているからそれでいいとして、一つ一つやっていくしかないんだろうなぁと思う。
Youtuberの発信者を生業としている方を見ていると、「自分に軸があっていいなぁ」「私も人に教えられる人になりたいなぁ」とも思うけれど、
でもそれって表に出ているか出ていないかの違いだけであって、
人を励ましたりするのも必要だし、裏方で社会を支える人も必要で…。
自己表現欲がいろいろ入り混じって、毎日たんたんと目の前のことをこなすだけでいいのかなぁと不安を感じたりもしたけれど、
自分なりに社会の一員になれればいいかなぁとも思ってきた。
それは仕事に限らず、買い物をすればお金を払ってそれは社会の循環になっているとかそんなレベルのことから。
そうそう、お金をもらうこともただただ世の中が循環しているだけのことで、全然卑しいことじゃないから、将来のために勉強することは恥ずかしいことじゃない。
むしろその循環に貢献してる。
とにかく目の前を直視して生きよう。
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