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「幸福追求」ではなく、今できることをする。

「幸福追求」という言葉が、生きづらさにつながっているのかもしれないと、ふと思いました。

人は、心が辛くなるほど、抽象的な思考の方へ流れていきます。

けれど、幸福追求という旅が、自分探しという、果てしない、先の見えない道に進んでしまうという側面もあるような気がしました。

これは、新聞を読んで感じたことです。

大学で、新聞を読むことを勧められて、とりあえずデジタル新聞に登録をしてみたのですが、

どの記事も、自分からかけ離れたところにある、架空の出来事のようで、自分とは関係がないように思えてしまって、なかなか頭に入ってこない。どこから読むべきかも迷子になり、んー、、このままじゃ、続かないなぁと思いました。

けれど、
よくよく考えてみると、

「今の社会は、子育てができる環境ではない」
「政府は見当違いな政策ばっかりで、日本はもうだめだ」

という見方がある一方で、

先が見えないながらも、たとえば、持続可能な社会のために、環境問題について行動を起こしている界隈もあると気づきました。

新聞には、社会に対して批判的な記事もあれば、前向きな記事もありますが、

「もう、未来はない…」という視点で、新聞を読もうとすると、どんどん苦しくなってしまうと思います。

新聞に目を通すとき、「何かできることないかなぁ」という気持ちを、少し心に置いてみたら、ちょっとだけ、情報が頭のなかに入ってくるようになりました。環境問題という、無謀にもみえる課題に対して、できることから、考えていくように...。

生きづらさの原因が社会にあるとしたら、極論、それはだれのせいにもできない気がします。

自分の能力を最大限生かすという、ごく抽象的な、自分探しや幸福追求についてを考えるよりも、

趣味にしても、新聞を読むにしても、なんでも、それが結果を結ぶかは置いておいて、今できることをやろっと、と思います。




追記

でも、もし、仮に仕事で、自分が見えなくなるほど忙しくなってしまったら、

自分の幸せってなんだろ…と考えることも、ものすごく大切な気がしました。









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