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自分を知ってもらいたくてnoteを書く

「自分を知ってもらたい」という、承認欲求でいっぱいな目的だとしても、堂々とnoteを書いてもいいんだなぁ…と、またひとつ自分を受け入れることができました。

そう考えるようになったエピソードを下に書きます。

・・・

今、私は就職のことについて、とても悩んでいます。

自分には、働く能力がないような気がして、そもそもどこに向かっているのかすらも分からなくて…。

大学で就職についてのお話を聞くと、面接とか、一般教養の試験とか、その他もろもろの試練を乗り越えて、就職を勝ち取っていくだけの強さが自分にはないようにも思えてしまって…。

だからこそ、何か能力を身につけるために、資格を取らなければと焦ってしまったり。

けれど、今日は、まず一つ、思ったことがあります。

「資格にこだわらなくて大丈夫」

資格が取れないと、継続力がない人と、見られてしまう気がしていて、怖かった。

けれど、冷静に立ち止まってみると、きっと、今はまだ、道が定まっていない時期なのかもしれない、と思います。

資格よりも、インターンや、企業研究や、新聞を読んでみることから手をつけてみる。

道がある程度狭まってくれば、おのずと必要な勉強をできるようになっていくのではないか、と思います。

テスト前は、なんだかんだ勉強をがんばれているから、きっとやるときはやれるはず。大丈夫。うん。


それに、自分を企業に知ってもらう方法は、資格だけではなく、企業研究を重ねることで、その仕事対して感じることを言葉にできるようにして、それを伝えるという方法もあると気づきました。


…こんなように、就活のことを、あれやこれや考えているうちに、ふと我に返って、自分自身をどのように伝えるかばかりを考えている自分に気づきました。

そもそも、私は、よく独りでに自己分析をするけれど、これは単に自分に寄り添うためだけではなく、人に「自分を知ってもらいたい」という気持ちが、根底にはあるのかもしれない。

人とつながりたい、というか。居場所を探しているというか…。

今回の考え方で、自分を知ってもらいたいという気持ちが、承認欲求モンスターのような悪いものではなく、あってふつうのことなんだよ、ということが感覚的にも分かった気がします。


就職のことを考えていたら、noteで、承認欲求を持ちながら書くことについて、それでもいいんだよ、と思えるようになった。

悩みは思わぬところでつながるものだなぁと思います。

社会は、案外、「自分を知ってもらいたい」でつながっているのかもしれない。

自分ひとりの本当に自由な時間と、気持ちを届ける時間、どちらも大切にしたいです。










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