季語について。向日葵について。
2023年8月11日
今日は、また、より一層暑い日です。
ここ、北海道でも、30度は優に超えていて、
なのに、家にはエアコンがついていないため、今は、近くにある図書館に、避暑しにきています。
でも、それでも、家から近いとはいっても、3キロはあるので、ここまでたどり着くのも、結構大変でした。頭が、焼けたように熱い、、、。
このままだと、今日もアイスを食べたくなっちゃいますね。
noteの冒頭を、日付を入れて日記風に、かつ、今日はどんな日かー、という、時候の挨拶ではないですが、でもそんな風に書いてみました。完全に暑さにばっかり、意識が引っ張られてしまっていますが…。
先日、ある方のnoteを読んで、時候の挨拶って、ただの形式的なものではなく、季節の小さな変化に気づける、とても大事なものなのかもしれないと気づき、早速取り入れてみたんです。
なぜ、時候の挨拶が大事だと思ったのかというと、
私は、普段どうしても、自分のことについて考えすぎてしまって、
意識が内へ内へ向いてしまうことが多くて、
たとえば、
「自分の好きなものはなんだろうか」とか、
「自分は何のために生きているのか」とか、
「自分に向いていることは何なのか」とか、です。
でも、自分が、これから先どういう人になっていくか、なんて、
自分の意識のもと、管理できるものではなく、
環境によって、いつのまにか変わっていくものなんだと思います。
noteでも、いいな、と思う文章に出会うと、自然と、その書き方をマネしてしまっているし、
そう考えると
「自分は何なのか」について、自分のなかにとじこもって考えるよりも、
心惹かれる言葉、景色、作品を探しに行く方が、楽なんじゃないか、と思いました。
冒頭で、時候の挨拶を書くことも、
自分の内面に目を向ける前に、
外の、ただ在る景色を見ることで、少し視野が広がるといいますか、
読んでくださっている方とも、共通感覚を持てているような気持にもなりますし、
そんなこんなで、
時候の挨拶というとってもすてきな文化に、今更ながら気づいたところです。(小学生の頃は、なんでわざわざ、こんなめんどうなことを…と思ってました)
ただ、私は、季節を表現する言葉のボキャブラリーをあまり持っていないので、季語について、少し勉強してみたいなーーと思いました。
・・・
せっかく、そう思えたからには、今日早速図書館で、季節についての本を借りてみようと思います。
それと、ついでに、
ひとつ、季語として、夏の花である「ひまわり」を取り上げたいと思います。
最近、ひまわりをよく目にするんですよねーー。
あの、力強い咲き方に元気をもらえます。ひまわりは、”ばくはつスマイル”な、イメージがあります。笑顔とひまわりはセット、みたいな・・・。
なるほど、向日葵はかなり一途な花なんだなぁ。
これじゃあ、向日葵を見かけるたびに、「あ、見つめられてる・・・」と勘違いしてしまいそうな。(それはそれで、嬉しいけれど...。)
ひまわりについて調べてみるの、楽しかったです。
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