始まりはいつもChaos(カオス)
2020年。
新型コロナウイルス感染症の世界的な流行。
国際ボランティア団体 チーム「アジアの風」もその影響を受け、例年続けていたカンボジアプロジェクトを中断していた。
そしてこの夏。
我々「アジアの風」は実に5年ぶりに、カンボジアにある「ひろしまハウス」を訪れた。コロナ禍で止まっていた教育支援活動が再び動き出したのである。
▲「ひろしまハウス」のこと、「アジアの風」のこと、「はじめてカンボジアを訪れたときの衝撃」はこの記事もぜひご覧ください。
1. 5年ぶりの「はじめまして」
ひろしまハウスに着いた。
以前より周りの道路が少し綺麗に舗装されている。それでも、迫力のある赤いレンガ造りの校舎は変わらないままだ。中からは懐かしい子どもたちが、笑顔と共に飛び出して、、、
...来ない。
この5年間で成長してこの学校を巣立って行く子もいれば、家庭の事情でこの学校を離れざるを得なかった子ども達もいるらしい。当時お世話になった先生達は1人もおらず、少し寂しい気持ちにもなった。学校のメンバーが丸ごと入れ替わってしまうほどの変化が起こるのが、5年という歳月の長さだ。
初めて出会う子ども達が次々と「こんにちは、お元気ですか」と声を掛けてくれる。
顔馴染みに会えず残念な気持ちも少しはあるものの、先生が替わり、子ども達が変わった今でも礼儀正しく挨拶できる「ひろしまハウス」の教育水準の高さにはとても感心した。新しい先生達も相変わらず熱心だ。
私にとっては5回目の訪問だが5年ぶりの「はじめまして」をたくさん浴びた。ここに通った先輩達がかつて学んだ礼儀や挨拶の文化が今も引き継がれている。
ここから始まる子ども達との繋がりもまた、未来に向けて楽しみだ。
2. 世界はそれを「情操教育」と呼ぶんだぜ
アジアの風の教育支援活動は主に2つの特徴がある。
1つは、美術・音楽・体育などの情操教育に力を入れているところ。もう1つは、その計画の綿密さだ。
ひろしまハウスでは主にクメール語と英語、日本語、算数の授業が行われている。日本で副教科と呼ばれるような体育や美術、音楽といった科目は無い。しかし、これらの副教科は心の豊かさや閃き、センスなどを育む大切なもの。これらは「情操教育」と呼ばれ、成長期の人格形成に大きな影響を与える。
端的に言って、情操教育は重要なのだ。
そこで今回、アジアの風が情操教育の一環として行ったのは、書道・剣道・紙版画・歌唱・おり紙だ。日本から参加した先生達がそれぞれの得意を活かして躍動してくれた。
詳細は割愛するが、普段から日本の教育現場の最前線で働いている先生達の計画力・指導力はさすがの一言。初めて訪れる異国の地だというのに、どの活動も当たり前のように大きな混乱やミスなく終わった。
この計画性・指導方法を見て、現地の先生達にも何か感じてもらいたいというのもこのプロジェクトの大切な要素のうちのひとつだ。
かくして、ひろしまハウスでの活動は盛況に終わった。
3. タイ最大のスラム街を歩いた
ひろしまハウスの子ども達に別れを告げ、カンボジアを後にする。次の目的地は隣国タイだ。我々はタイ最大のスラム街クロントイスラムを訪れた。
タイの首都バンコクは大都会だ。
高速道路にはETCレーンがあり、鉄道や地下鉄も走る。巨大なLEDの広告塔と、スカイラウンジ付きの高層ビルがいくつもある。
その華やかな高速道路を脇道に逸れ、奥に入って行ったところにひっそりと佇むスラム街、それがクロントイスラムである。そこはかとなくこの国の経済格差を感じた。
このスラム街にひとつの図書館がある。
本を読んでもいいし、
読まなくてもいい。
宿題をしてもいい。
ゲームをしててもいい。
友達と遊んでいてもいい。
いつでも気軽に本を読めるし、いつでも気兼ねなく集まれる「心の拠り所」としてこの図書館は存在している。
シーカー・アジア財団という現地法人は、貧困に苦しむ子どもたちへの教育支援を目的としてこの図書館を運営している。我々アジアの風は、ここでカンボジアで実施したのと同じ、剣道の授業をした。
だがカンボジアの時とは少し様子が違った。
4. 教育の始まりはChaosから
内容としては、
新聞紙を使って竹刀を作る
「気配斬り」という遊びを通して剣道を体験する
グループに分かれて予選を行う
決勝では上位3名に表彰とメダル
という感じ。
夢中になって竹刀を作る姿は実に微笑ましい。
やはり子どもが好奇心のままに夢中になっている姿というのは教育に携わる者として胸が熱くなる。
完成した竹刀で「気配斬り大会」を執り行った。グループに分かれて予選を行うのだが、この辺りから少しずつ様子が変化してくる。子ども達の集中力が続かないのだ。
手に持った自作の竹刀でそこかしこで戦いが始まり、グループごとに並んでいた列はいつの間にかごちゃ混ぜに。気が付けばまだ試合をしている最中に、関係ないわと言わんばかりに走り回る子ども達。
控えめに言ってChaos(カオス)である。
こうなると我々の言葉は子ども達には届かなくなってくる。力不足か、準備不足か、「自分にはなにもできない」という無力感が襲ってくる。
理由を考えると色々あるだろうが、思い起こせばナミビアでも同じ経験をしたことがある。非常に横柄な言い方をすれば、そもそも子どもとは(人とは)元来無秩序なもので、そこに秩序をもたらすのが教育なのだ。
ひろしまハウスは「学校」であり、「先生」が指導していたおかげで教育が行き届いていた。しかしここは「図書館」であり、指導する,されるという場所ではない。子ども達が「自由に伸び伸びと学びに来る場」である。そもそもの施設の性質が違うのだ。
それにだ。
いまこの瞬間においては、もともとそこにある日常に外部から日本流の教育を持ち込んでいる我々の方こそむしろ「異端」なのである。子ども達が言うことを聞かないのも当然の結果だったように思う。
ここを間違えると問題の本質を子どもに押し付けてしまいそうになる。気を付けなくてはならない。教育は、綺麗事が通用しないほどのChaosから始まるものだと心得ておいて過不足ない。教育者の腕の見せ所である。
5. 継続は「ぱわー!」なり
とはいえ失敗に終わったわけではなく、活動自体は無事に完走できた。子ども達の笑顔もたくさん見られたし、「気配斬り大会」も表彰式を終え、全てのプログラムは完了した。
ふぅっと一息ついて振り返る。
教育の始まりをChaosとするならば、そこに秩序をもたらすためにはどんなアプローチが必要だろうか。個人的には、環境と習慣を作り込んで継続することが何よりも大切だと思っている。
一回きりで終わってしまうボランティア活動は世間を見渡してもよくあるものだ。別にそれを否定しやしないが、こと教育においては、外国から押しかけて一回こっきり何かしたところで結果が出るようなものではない。
だから続けなくてはならない。
持続可能なアプローチを考え続けなくてはならない。
実を言うと、コロナ禍でひろしまハウスとの繋がりは危機的状況にあった。それでもオンラインを活用してなんとか繋いできた「縁」が身を結び、今回の訪問が実現した。
継続は力なり。
今後もひろしまハウスの子ども達の成長を見守っていきたい。
▲ 良かったらそちらもご覧ください。
6. 風に吹かれて
トゥクトゥクに乗って街を走る。
吹き抜ける風が心地よい。
実に5年ぶりのカンボジア訪問。
実は初めてのタイへの訪問。
教育の形はひとつではないと改めて感じた。
Chaosの中から学び育っていく子ども達の将来はどんなだろう。きっと逞しく育つんだろうなぁと妄想しながら、激しく揺れるトゥクトゥクの上でアジアの風に吹かれた。