誰も叱ってくれない
32歳になって5ヶ月経った。
最近仕事で怒られなくなったなあと気付いた。
スキルが身に付いたからだろうか。それとも少しは成長できたのかな。そんなゆるゆるな自己肯定を甘んじて受け入れてる現状があった。でもきっとそれは勘違い。いわゆる新人でもなく、ベテランでもない中堅のヒゲ生やしたおじさんにはみんな言いづらいだけだよ。正直。
ってコトに気付いてしまった。
1.くそみそに怒られた1年目
1年目の先生は「初任者研修」という新人研修を受ける。その研修項目の中に「研究授業」なるものがある。(呼び方は地域によって様々らしい)
そこでは、授業の様子を色んな先生が観にくる。そして
後からアレコレ助言をしてもらい、自身の授業改善に繋げていくのだ。教員の資質向上のカリキュラムに組み込まれた大事なお仕事である。
自分が1年目のときも数回の研究授業を実施した。結論を先に言うと、それはそれはもうくそみそに怒られた。怒鳴られたとかではない。淡々とダメなところをいっぱい指摘された。
当時、まだやる気のなかった部分をしっかり見抜かれ、指摘され指摘され指摘された。悔しくて、泣いた。(いま思うと怒られて当然。)
ただまぁそれがきっかけになって、2年目は土日に研修があろうもんなら全部参加して勉強しに行った。有料だろうが無料だろうがお構いなし、受けられる研修は県外でも全部受けますモンスターだった。昔からそうなのだが、おーくぼの本質は怒られて伸びるタイプだ。
おかげさまで最低限、子どもと関わるための素地くらいは身に付いたんじゃないだろうか。くそみそに叱ってくれた当時の先生方には、感謝するばかりである。
2.あれ?すげぇ褒められる
そして今年、9年目を迎えたおーくぼは5年経験者研修という枠組みで研究授業をしたのであった。(ナミビアに行っていた期間の影響で経験年数は9年目なのに5年研?我がキャリアながら実にややこしい。)
研究授業を実施したあとは、参観に来ていただいた先生方にコメントをいただきに歩いて回るのだ。その様はさながら「ダメ出し1000本ノック」である。今回はどんなダメ出しをいただくのかなぁと半ばソワソワしながら話を聞いて回った。
するとどうだ。なんかすげぇ褒められる。拍子抜けというか、ダメ出しを覚悟して臨んだ1000本ノックで褒め言葉のシャワーが待っていた。
え〜何これ〜
気持ちいい〜
授業に込めた思いとかねらいについても気付いてもらえた。「ちゃんと見ていてくれたんだなぁ」と感動すら覚えた。その日はホクホクした気持ちで眠りについたのは言うまでもない。
3.誰も叱ってくれない
目が覚めて反省した。
褒められて全部鵜呑みにしちゃって気持ちよくなって終わりじゃあかんすよ。(あかんすよ。)改善点のない授業なんてあり得ないもん。そんなパーフェクトティーチャーいないよ。何を満足してんねん。
そんな気持ちになった。
新人時代は怒られるのが日常で、その当たりのキツさにムカついたこともあった。でも当然だがそれは自分を育ててくれるための叱咤激励であって、おーくぼへの攻撃ではない。みんな真正面から向き合ってくれていたのだ。
しかし今回はどうだろう。
怒られもしない代わりに伸びしろについても触れられることはなかった。そしてようやく気付いた。32歳中堅のそれなりに経験積んだうさん臭い見た目のヤツに、厳しく指導するなんて気まず過ぎて無理なのである。
もうね。
いい歳なんだから自分のダメなところくらい自分で見つけて改善しなさいよ、と。誰もお前の面倒見てる時間ねえよ、と。
いまこの瞬間がきっと分岐点。このまま褒められていい気になってたらそれ以上の成長はないと自覚した。そしてこのままでは届けられない支援や教育がある。それじゃダメだ。
詰まるところ、自己研鑽は「自己」研鑽。誰も叱ってなんかくれない。
今日、気付けてよかった。
(戒めとして)