ネタバレに気をつけて映画の感想を書く2023
昔より映画で泣きすぎるんだけどそういうお年頃なのかしら?昔より涙もろくなったアラサー手ぇ挙げてみ?
先々週くらいにスマホのメモが全て消えました。
幸いなことにPCの方にバックアップが残ってたので、せっかくなので整理していたら、ここ2~3ヶ月で観た映画の感想が出てきました。
鑑賞直後に書いた感想だったからか、引く程熱量高くて居た堪れなかったので年越す前にここに晒して供養させてください。
それにしてもいっぱい泣きました。
それではれりごー
※念の為、以下ネタバレ注意です!!
【screen1】G -1.0
ヤバすぎた。
めっちゃ泣いた。
舞台は戦時中〜戦後にかけて。
戦時中、戦後間も無い頃の日本人が抱えた心情がリアルに表現されていた。
私ごときが語れる話ではないかもしれないが、特攻とは決して洗脳によって死を恐れぬ人間兵器に仕立て上げられたとかそういうモノでは断じてない。葛藤に葛藤を重ね、先人は生死と向き合い、生涯に意味を見出そうともがいたのだろう。生き方だけでなく散り様も含めて尊厳を守るために戦ったのだ。
その精神性は、日本人の生真面目さの表れであり、彼らの儚くも美しい生き様は賞賛されこそすれ、批判の対象になり得るはずもないものである。
そんな覚悟のようなものが主人公の選択の一つ一つから感じられた。
そして何よりも、日常が破壊され奪われていく描写がフィクションには到底思えなかった。私はこの壊されてしまった街並みに見覚えがあった。
熊本地震の頃に訪れた益城町の景観と、いま起きている中東戦争のガザ地区のニュース映像だ。決して映画の中のワンシーンとして消化できるものでは無く、こんな恐ろしい破壊も現実で起こりうる景色なんだと背筋が凍った。
映画の主人公の娘が泣く姿と、
ガザ地区の少年のインタビュー動画が重なって見えた。
「僕たちはなにも悪い事していないのに。」
本当にそうなんだ。いつだって理不尽は突然日常に降りかかるんだ。不意に訪れる自然災害も、予期せぬ空襲も、悲しい事故も、突然の別れも、、、。
日常を奪うものはいつも突然現れる。
「ゴジラ」とは、幸せな日常を奪っていくこの世の「理不尽」とか「不条理」そのものを具現化した存在なのかなと思う。「理不尽」や「不条理」と相対したとき、あなたはどのような決断をし、なにを実行するだろうか。
その事を考えさせられたシーンがある。(軽ネタバレ有)
戦争が終わって間も無くゴジラはやってきた。
GHQも日本政府も、緊迫するソ連との関係を鑑みて一切の軍事行動は取れないという決断を下した。そんな状況の中、ゴジラと戦うことができるのは民間企業と、有志で集められた「元・海軍」の一般人。
ゴジラ討伐作戦への参加は強制ではなく「個人の判断」に委ねられた。
ゴジラという不条理がやってくる。
これ以上命の危険を晒して前線には出れないと家族の元へ帰る者もいる。それを咎める者は誰もいない。皆、前の対戦で十分すぎるほどに苦しんだのだ。それでもなお、それぞれの胸に秘めた使命感、責任感、なかには不条理に対する復讐心で、ゴジラと戦うことを決める者もいる。
めちゃくちゃ考えさせられた。
自分だったらどうするだろう。
この国と、この国に住む誰かのために戦うことを選ぶかな。それとも家族の元へ戻るだろうか。それとも自分だけでも助かろうと遠くへ逃げるかな。
対ゴジラとして描かれてはいるものの、これは観ている我々にも突きつけられた問いだった。なにしろ「理不尽」や「不条理」はいつやってくるか分からない。
日常に襲いかかる「ゴジラ」は、明日にでもあなたの人生に「理不尽」をもたらすかもしれない。その時にどんな行動を取ることができるか、準備はできているだろうか。美しく生きて、美しく散れたらどんなに良いだろうか。いや、醜くても生に執着すべきなのだろうか。今の自分には分からない。
その時、あなたはどうする?
【screen2】 正欲
これもまた傑作。
結末を知った上でもう一度観たい。
普通に生きられない苦しみと、
普通に生きていく苦しみを、
最小限の表現で両面から描きった作品だった。
と感じた。
新垣結衣さんはじめ、俳優陣の多くを語らない演技に圧倒された。
社会に適合できずコミュニケーションめちゃくちゃ下手なのに、分かり合える人とだけはやたら饒舌になっちゃう感じ。あの演技というか描写はとってもリアルでした。
(以下、軽ネタバレ有)
自分が「異常さ」を自覚しているからこそ、他人に迷惑を掛けず生きてきた。そのはずなのに、結局は「普通」に馴染めずに死にたかった2人。そんな2人がお互いの「異常」で繋がり、2人でなら生きていけると微かな希望の道を見出す。いなくならないで、と恋愛感情を超越したつながりで支え合い生きていくことに。
そんないわゆる「異常者」に偏見を持ち、見下し、挙げ句の果てに実の息子の不登校にさえ理解を示そうとしない検察の男。「YouTubeを始めたい」という息子の勇気ある申し出も一蹴し「普通であること」に固執した。結果としてパートナーや息子から見放され孤独な道を歩むことに。
流行りの「なんちゃってダイバーシティ」や「ファッション多様性」の陰に隠れて本当に生きづらさを感じていた2人が、一度は本当に死のうと思った覚悟を乗り越えて支え合う。ここに生きる希望と社会への絶望の両方を感じた。
そんな2人がある事件に巻き込まれて先ほどの「普通」の検事と相対する。
「異常」だが、支え合えるパートナーがいる2人。
「普通」だが、結局は孤立してしまった検事。
この対比が皮肉に満ちていて面白かった。
幸せってどういう状態のことを言うんだろう。
「異常、異常」と書いたけど、それは当人にとっては「普通」な事であってそれを他人がとやかく言うことは必要ないわけで、まして否定されるなんてあっちゃならない。いや、こっちから見たらあんたらの方が「異常」だかんね?みたいなね。
あと見落としがちなのが「わたし理解あります」ヅラして多様性の味方ですみたいな主張してくるヤツね。いるよね。気をつけてね。流行りのテーマ()だからって他人のプライバシーに手を突っ込んでいいわけじゃない。
(映画の中でもいたんですよ。ほんとそういう描写もリアルでした。)
親しき仲にも最低限のマナーですよね。
大事なのは相手へのリスペクト。
なんていうかな。
「普通に生きるのがしんどい」ってとき全然あると思うんだけど、そんな時に勇気の出る映画だなと思った。
※今回のnoteは読むのここまでで良いですよ。これ以下は愚痴なので。
【screen3】 「月」
当時の心情を書き殴ったストーリーのスクショを載せます。
以上。
ほんとこれ以上でも以下でもない。
この映画は大量殺人の記録でしかない。
社会に対して「問題提起してます風」だったけど、
そんな一面まったくなかったよ。
「殺人鬼の自己満足」と
「必死に生きている人々の葛藤」を
一緒にするなよと言いたい。
俳優陣は素晴らしい仕事をしたように感じましたが、この作品をきっかけに何かを見つめ直そうとか、考えさせられたなぁとか、そういった類の良い影響は全くなかった。
映画制作陣への怒りすら沸いてしまった。
知らないことを偉そうに語るなよ。
って思った。
こんな感想をわざわざ書くことに意味があると思って、一応書いとく。
まとめ
ふぅ。
とまぁこんな憤りを感じる時もありますが、
わたし映画館が好きなんです。
たくさんの表現者の思いが集まるあの場所。
あの雰囲気。
あの時間。
非日常のような日常。
日常のような非日常。
映画見た人と感想戦するのも好き。
アホみたいに泣くのも好き。
また来年も、
映画館に行こっと。