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ドイツには特別支援学校あったよ

姪の授業参観から数日。
私は姉夫婦と別れ、ヴェローナという街にやって来ていた。

イタリア滞在の最終日。

ドイツ行きの電車を待ちながら、前回の記事へのコメントやメッセージを読んだ。読み進めるにつれ、皆さんのインクルーシブ教育への関心の高さを実感する。なかには全く新しく知る情報もあり、とても勉強になった。たくさんのコメントやメッセージをいただき本当にありがたい限りである。

−  世の中は知らないことの方が多い。

なのにちょっと油断するとすぐ、自分のせまい視野の中で何かしら結論めいたモノを出したくなる。先入観や偏見で価値観が凝り固まらないように日々考え、学び続けるのを辞めてはいけない。そう思わされた。

てことで、前回の続きを書きました。

※前回の記事はこちら↓

1. 例の国連勧告 その舞台裏

前回の記事に対して長文の感想DMが届いた。
やけにインクルーシブ教育に対する見解の解像度が高い。

よくよく聞けばこの4月から地域の小学校への進学を決めた医療的ケア児のママからのメッセージだった。まさにジャパニーズ・インクルーシブ教育の最先端をいく親子様である。

そのママさんが、私がイタリアに来るきっかけにもなったあの「国連が日本の特別支援教育を批判した」というニュースの、知られざる背景を教えてくださった。

こちら↑の記事は、日本の障がい当事者団体の活動日記の一幕である。

"例の国連勧告" に至るまでには、それはそれは長い道のりがあったことが分かる。教育委員会や国に訴えても改善されず、差別的な扱いに苦しんできた方々が、努力に努力を重ねて伝えて続けてきた訴え。それがやっとの思いで国連の耳に届いた結果が「あの国連勧告」だった。

記事を読んでみると分かるが、そこに特別支援教育を否定しようという意図は全くない。現状の問題点を必死の思いで伝え、政府に是正を促そうという前向きな思いでの活動だった。

しかし、例の国連勧告が出されたとき、ニュース記事はみな一様に「日本の特別支援教育が悪!インクルーシブ教育が正義!」という書き方になってしまっていた。対立を煽るような記事の書き方では、世の中に良い変化は訪れない。

まったく、いつの時代もメディアは論点をズラして引っ掻き回すのが好きだな。(まんまと国連に反骨心を抱いてしまった2年前のおーくぼは反省しろ)

では実際のところ、一体何が問題だったのか
ニュースの背景に目向けることで理解が一歩前に進み出す。

2. 分離教育が生み出してきた現在地

こちらのママさんが強調されていたのは、「国連が批判したのは "特別支援教育そのもの" ではなく "普通教育と特別支援教育が分離されている現状" である。」という点だ。

え?そりゃそうじゃない?

と思うかもしれない。正直私も言葉としては理解していたつもりだった。だが、それが実際なにを意味するのか、本質的な部分が分かっていなかった。

こちらのママさんは、医療的ケア児である息子さんが就学するにあたって、特別支援学校ではなく普通校でのインクルーシブ教育を選んだ。その理由がご自身の経験にあると語ってくれたのだ。

以下はそのメッセージ。

私は息子を産むまで、(今もまだあるかもしれません)障害者を差別していましたし、偏見を持っていました。でも子供の時に知る機会を奪われてみてはいけない人、居てはいけない人、、そんなふうに感じてしまうような人間になっていました。

子供の時からもっと障害のある子を知って理解して関わりたかったととても後悔しています。だからこれからの子供たちからはそんな機会を奪ってはいけないと思っているので息子は地域の学校で育てたい、地域で育てたい、と思うようになりました。

息子も地域も育つ、そう信じています。

原文ママ

過去の事とはいえ、誰だって自分に非があると感じていることを他人に話すのは勇気がいる。しかし、こちらのママさんは臆することなく赤裸々に語ってくださった。

そうなだよな。

差別したくて差別をする人はそうそういない。でも育ってきた環境が先入観を作り出すという現象は、誰にとっても身に覚えがあるのではないだろうか。

特別支援教育が差別的なのではなく、
分離教育が差別的というのでもない。

分離教育の結果として生まれる「障害への無理解」が差別を生んでいる。それこそが“ 例の国連勧告 ”で指摘された日本の現在地なのだろう。

インクルーシブ教育国家・イタリアで見た、ピュアな子ども達の壁のない世界を思い出して、そう思った。

3. ドイツで子育て中のママさんの言うことにゃ

その後イタリアを発ち、ドイツへ向かった。
(電車で国境越えはわくわくしたが、結局6時間くらい掛かった)

実はここには、はるばるドイツからおーくぼのInstagramをフォローしてくれているダウン症児のママさんが住んでいるのだ。今回のヨーロッパ渡航にあたって、ぜひ会いに行こうと思っていた。

GDPで日本を抜いて世界3位の経済大国となったドイツ。中世古代のローマ感一色だったイタリアと比べて、なんというか都会っぽい雰囲気が漂う。
言うなれば、どことなく日本と似ている

日本やん


日本じゃないの?


日本語の漫画喫茶あるやん

果たしてこの国の特別支援教育の考え方はどうだろうか。

我々はデュッセルドルフの旧市街地で待ち合わせをした。ダウン症の娘さんも一緒に来てくれたが、初対面のヒゲ面おじに警戒心は最高潮に達していた。お土産をホテルに忘れてきたのは痛恨のミスだったかもしれない。(ごめんね。)

小洒落たカフェに入り、我々は話し始めた。

Q. ドイツの障害児教育はどんな感じですか?

ドイツには知的・肢体不自由・聴覚・視覚の特別支援学校があり、それぞれに専門の先生が在籍していて、それぞれの専門性を重視した教育が実施されています。

Q. 娘さんの就学までの流れを教えてください。

まず、日本人学校に行ったけどスパッと断られました。障害児を受け入れられる準備が整っていないようで、「日本のほうが母語で特別支援教育を受けられるから良いんじゃないか」という提案もありました。

(え、それって遠回しに日本に帰れっt…)

ここに無理して通っても、私にも娘にも負担になると思い断念しました。

(これを想定の範囲内だと言ってのけ、受け入れたママさん。本当に尊敬します。)

次に、同じ地域に2ヶ所ほどインクルーシブ校があるとの情報を得ました。そのうちの1校が近所だったので見学に行ったところ、特別支援の先生もいて歓迎の姿勢でした。なのでほとんどこの学校に決めようとしていたんですが…。

Q. そのインクルーシブ校には行かなかったんですか?

ドイツのインクルーシブ校の授業スタイルは基本的に「取り出し授業」で(※1)、普通級に在籍しながら週に数時間だけ別室に集まり、「自立活動」的な授業を受けるというスタイルみたいで、

(やはりドイツと日本は似ている気がする。)

その別室授業が必要な生徒は、必要に応じて行政に支援員の加配申請をし、必要な職員数を手配しなければいけないんです。で、それを親がやることになっています。しかも、加配が必要だと認められるためにはさらに別で面談が必要なんです。

※1 ノルトライン=ヴェストファーレン州の場合

(なかなかに手間がかかりますね。)

加配の手配を進める中で、「言語も分からない中で普通級がベースの暮らしをするよりも、特別支援学校のほうが本人にとっていい」という気がしてきました。

Q. それで特別支援学校に変更したんですね?

そうです。その後、特別支援学校を見に行ったらやっぱり手厚い。少人数に対して先生の数も多く、一人一人に合ったプリントとかも用意されていました。困ったときにすぐ助けてくれる感じもあって、娘が安心して通えそうな特別支援学校を選びました。

インクルーシブ校が悪いとは思わなかったんですが、どちらかというと障害が軽い子や、グレーゾーンの子向けなのかなと感じました。

(なるほど)

まとめるとどうやら、

× 日本人学校には通えない
○ インクルーシブ校がある
○ 特別支援学校もある

という事らしい。
それぞれを見学して1番適したところを選べるという意味では、選択肢に柔軟性があるように思う。日本人学校については残念だが…。

他にもいろんな話をさせていただいた。

ドイツの福祉制度について、
ドイツのリハビリについて、
教員不足が深刻な件について、
モンテッソーリ教育やシュタイナー教育の
私立校があることについてなどなど…
(気になる人はコメントしてね。)

話題は尽きないが時間にも限りがあり、私たちはカフェを後にした。警戒していた娘さんは最後の最後に笑顔で手を振ってくれた。

4. 海外にある日本人学校事情

「ドイツの日本人学校で障害児を受け入れられなかった」というママさんの体験談をそのまんまInstagramのストーリーに載せたところ、思わぬ方向から反響があった。

アジア圏である。

もともと昔から日本人が多く住んでいるアジア圏は、その分、日本人学校の規模も大きい。学校の規模が大きければ自ずと特別支援のニーズも高まる。これは自然な流れなのかもしれない。

現地の保護者の要望が高まり、設置されたらしい


現地に突撃調査するJICA隊員の逞しさよ…!!

特に、シンガポールの日本人学校は中学部まで特別支援学級があるとのこと。シンガポールへの駐在予定があるご家族は安心して向かうことができそうだ。

海外の日本人学校については【在外教育施設における教育の振興に関する法律(令和4年法律第73号)】という法律にも定められていて、日本国内と同等の教育水準が求められている。

もちろんこの法律には特別支援教育も含まれる。要するに「海外の特別支援学級も職員募集中」なんだそうだ。

え〜そうなの〜?
興味湧いてきちゃうな〜。

いつか応募して、海の向こうで働いてそうな自分が容易に想像できてしまうのがちょっと怖くもある。

5. 普通教育と特別支援教育

この旅を通して、思いがけず教育の在り方を考える機会になった。

イタリアはフル・インクルーシブ教育。
ドイツには特別支援とインクルーシブ校の選択肢がある。
そして、日本にもインクルーシブ教育の道を切り拓く親子がいる。

それぞれの話を聞いて、少しずつ自分の中で「教育とはかくあるべきか」の解像度が増し、深化している気がした。

もともと私の根底には、日本の特別支援教育は世界一きめ細かいという考えがあった。それは正直に胸を張って言えることだろう。

しかし一方で、このきめ細かさを特別支援の世界だけで完結させていることが「分離教育」と呼ばれる所以だ、ということも理解できるようになってきた。分離教育は、結果として「障害への無理解」を生み、差別や偏見のある社会につながっている。これもまたひとつの側面であることに気付かされた。

これは歴史の積み重ねの結果であり、誰が悪いとかではない。しかしそう感じている人達が実際にいるのだ。だからこそ、インクルーシブ教育の考え方が世界中で流行っているのだろう。良いか悪いかは一切抜きにして、この世界的な潮流は止まらない。

だったらこの大波を上手く乗りこなすべきだ。理想的なインクルーシブ教育はどんなものかを考え、デザインし、今を生きる私たちの手で形作っていかなくてはならない。

思うに、インクルーシブ教育は決して「普通教育がベース」であるべきではない。むしろ逆で、特別支援教育というベースに普通教育を巻き込んでいくべきではないかとさえ思う。

これも私が常々言っている考え方の一つだが、特別支援教育はすべての子どもと大人にとって有効なのである。逆に言えば、特別支援教育は「障害がある子どものためだけのものではない」とも言える。

特別支援教育で実践されている様々な支援や工夫は、誰にとっても学習や日常生活の環境を快適なものにする。

誰が見ても分かりやすい視覚支援や、誰が座っても身体に優しい椅子などを、合理的に否定する理由は見つからないだろう。

そして、特別支援教育の真髄はなんと言っても「個別のニーズに合わせた教育」だ。

当たり前だが、いわゆる健常児のお子さんも一人一人成長や発達のペースは異なる。健常児のお子さんにとっても「一人一人のペースや環境に合わせた教育」が提供されることは、ある意味では究極の理想だと言える。

私の友人はこれを「オーダーメイド教育」と呼んだ。
なるほど腑に落ちる表現だ。

「障害がある子を普通教育に参加できる様に工夫する」という考えはぜひ捨て去りたい。そうではなく、最初からすべてのお子さんが対象。「すべてのお子さんに個別のニーズに合わせた支援が行き届く教育」こそが、目指すべきインクルーシブ教育ではないだろうか。

一人一人支援の量に差があるというだけのことであって、なんの支援も必要ないお子さんなんていないのだから。

6.おわりに

もちろん理想と現実は違う。
そうでなくても現場は多忙だ。
この考え方も今の時点で私が思っていることを書き殴ったに過ぎない。

だが何度も言うが日々時代は変わっている。
教育はどう変わっていけるのだろうか。

我々がその過渡期に立たされているのは間違いない。

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