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出来ない子って呼ばないで。

『この子は○○ができない子。』
『この子の○○がダメなんだ。』

先生達の口から出てくる子ども達への評価は「出来ない子」扱いが多い。ナミビアの特別支援学校で働く中でどうしても気になってしまうことのひとつだ。

障害というものを考える時に、もしかしたら同じ様に考える人も多いかもしれない。もちろん彼らに悪気はないし、決してそれが悪い事と言いたいわけではないが、もっと詳しく知るだけで感じ方が変わってくるのになぁと思ってしまう。

1.障害児は出来ない子ではない

特別支援の教育者としては、「出来ないという現状」はあっても「出来ない子」はいないと思っている。「出来ないという現状」に対して「どうすれば出来る様になるのか」を考え続けるのが特別支援教育であり、子ども達は皆すべからく「これから出来る様になる子」なのだ。

綺麗事に聞こえるだろうか?

だが本気でそう思って日々働いている。
この考えを支えるのが「発達年齢」という観点だ。

人間は1年に1歳ずつ歳を取る。これを「実年齢」または「生活年齢」と呼ぶ。そして何歳ぐらいで何が出来る様になるのかはおおよそ共通しており、発達段階の目安が一覧表になっていたりする。

この「実年齢・生活年齢」に対して、発達段階の現在地はどのあたりかというのを示すのが「発達年齢」だ。障害があるお子さんを理解するときには、この発達年齢を意識することが非常に大切になる。

ただただプリントを渡して「できる、できない」で評価する先生が多いナミビアの現状。通知表を見ても教科のところに「Good」か「Not good」しか書いてないのをたくさん見てきた。

でも特別支援教育ってそうじゃないと思うんだよなぁ。

2.発達段階に応じた指導

想像してほしい。

ある日突然、飛行機のコクピットに乗せられて運転をしろと言われたらどう思うだろうか?どう考えても無理である。でもそれが出来ないと「なんで出来ないんだ。」と怒られる。それはそれは苦しい毎日だろう。

だがパイロットの方達は実際に毎日飛行機を飛ばしている。彼らも初めは何も分からなかった所から一つ一つ段階を踏んで飛行機の飛ばし方を学び、練習をしたから安全に空を飛べる様になるわけだ。

その段階をすっ飛ばしてしまえばそりゃ誰もが「出来ない子」になってしまう。逆に言えばきちんと段階を踏めば子ども達は色んな事ができるようになるのだ。

子どもの発達年齢は何歳くらいなのかを一人ひとりよく観察して、その発達段階に応じた指導をする。そうする事で少しずつ、でも確実に出来ることの幅が広がっていくのだ。

だから私は「出来ない子」はいないと思ってる。子ども達は「これから出来るようになる子」ばかりだ。もちろん何でもかんでも出来るようになるかと言われたらそうはいかない。現実を見なければいけない部分もあるが、それは障害のあるなしに関係なく全ての人に言えることだ。
無論私にだって出来ない事はたくさんある。

3.特別支援教育の良いところ

私は特別支援の教育者として、自分が関わる全てのお子さんに「どうすれば出来るようになるか」を諦めずに考え続けたいと思っている。

そうして子ども達に出来ることが増えたときに一緒になって大喜びする。その瞬間が嬉しくて楽しく大好きなのだ。

すぐに成果が出るような事は少ない。地道に毎日同じ事をすることもあるだろう。いまできる事からコツコツと努力を積み重ねる。それこそがたったひとつの成功への道だ。

これはつまるところ人生そのもの。
特別支援教育から学べる事は何も障害に関することばかりではない。大切な事はいつも子ども達から学んでいる。

だからこの仕事が好きなのだ。

ではまた!

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