はたち
はたちで死ぬ。
なんとなくそう思いながら生きてきた。
もうすぐ25歳。長生きだ。
小学生の頃の話。怖い話、七不思議、都市伝説が流行っていた頃。
「ムラサキカガミって知ってる?」
そう言い始めたのは誰だったっけ。
「紫鏡、この言葉を20歳まで覚えていると死ぬ。」という都市伝説。
ノートの隙間や机の隅、ありとあらゆるところにムラサキカガミと書いては、忘れないように、大事にしていた。今でも覚えているが、まだ死んではいない。
どこか現実感のない日常。
見えないベールで隔たれた世界。
前にいる自分を見ている後ろにいる自分。
またその間にいる自分。
意思とは関係なく動く身体、誰かの目線の映像を、頭の中の近未来的なカプセルに乗ってただ眺めるだけの時間。
離人感。現実喪失感。脳が未発達が故の誤作動か。
「私なんか生まれてこなければ良かったって思ってるんでしょ!?」
いくつの時だったか、母にこう怒鳴って、ビンタされ、吹っ飛んだ記憶が未だ残っている。頬は痛くなかった。経緯は覚えていない。
自分が生まれてこなければ、ここにいるのが私でなければ、今とは違う世界が、明るい世界があったのではないか。そんな考えから出された結論、発した言葉。
今でも考え事をしてはどこかから迷路に迷い込んで、この結論に辿り着く。抜け出そうにも迷路で迷っているので堂々巡りだ。
世界の全ての問題の原因は私にある。
私の見えないところで、私の知らない人たちも同じ家に住んでいる。
皆が私をどこかから監視していて、殺すタイミングを窺っている。
私を殺した人は英雄になれる。
辻褄合わせに、血縁関係者は私を殺すことはできない、不自然のないように殺さなければならず近い関係にある者はなかなか手を出せずにいる、殺すのはプロに任せなければ問題の解決には至らないなど、頭のおかしなことを考える子供だった。
あれ、これは本当の話?いやいやまさか。まさかね。
どこかの誰かが死傷するニュースを見ては、何故それが私でなかったのかと考える日々。
医療ドラマを見ては、死に至る病の兆候がないか探る日々。
車通りの少ない田舎道、車道の真ん中を歩いてみたり、学校の廊下の窓から下に手を伸ばしてみたり。
積極的な自殺行為こそしないものの、何かの拍子に死ぬことはできないかと、微かな希望を抱いて。
はたちが近づく。
子供1人を育てるのにいくら掛かるのか。
生活費、学費に加え、習い事に部活動。
義務教育ではない高校に大学。
はたちになってすぐに死んでしまえば、それまで親がかけてくれた費用、苦労、全てが水の泡になってしまう。
罪悪感。
せめて少しでも費用を減らせるように短大を選ぼう。すぐに働けるように。いや、働く前に死ぬじゃん。
ムラサキカガミ、覚えていても意味がなかったな。脳のリソースが無駄になっただけだ。
はたちで死ぬと思っていたのも、ムラサキカガミに頼りすぎていたか。
今すぐに死ぬことは叶わなくても、はたちになれば死ぬことができる。と、無駄な猶予を作っただけだ。
はたちまでに死ぬことは叶わなかった。
普通に生き延びて、働いて、ひとり暮らし。
死にたいと思わなくなったわけではない。
死ぬための費用。300万。
そんなにかからないとは思うけれど、多いに越したことはない。
300万貯めるのなんて簡単だって?私みたいなズボラな人間には難しい話だよ。
せめて、私が死ぬことで起こる苦労、面倒ごとを少しでも減らそうと設定した目標。ゴール。
貯まったら死ぬと決めてるわけではないが、貯まるまでは、自ら死ぬようなことはしないと決めている。
それでも、もう、まぁいっかな、と思ってしまうことはあるけれど。
何故死にこだわるのか。固執するのか。
自分だって分からないよ。
呪いみたいなもんなんじゃない。
きっかけ、始まりが分からないもの。
いや、本当は分かっているのかもしれない。
それでいて分からないふりをしているだけなのかもしれない。
自分ではない自分が、自分に気づいてほしくないことを、そこだけを切り取って、盗んで、どこかに隠しているのかもしれない。
近未来的なカプセルがあったあのステーションのどこか。後ろの自分の更に向こう。別の部屋。
今はもう見ることができない世界のどこか。
自分が歳をとった未来を想像することができない。
なんとか30くらいまでしか想像することができない。
年金とかNISAとか2000万問題とか、自分ごととして考えることができない。
生きるのって難しい。大変だ。
それでも、好きなものを見つけて、楽しみを見つけて、なんとかほんの少し先の未来を描いて、生きています。
あの頃の自分。
ごめんな。
まだ生きてるぞ。