無気力と生命力の関係

私は無気力だ。

幼少の頃よりこじらせ、愛されず、否定されて育った。
自分のやりたい事は親に隠れて、黙ってやるしかなかった。

就職も引っ越しも恋愛も、いつもバレてから怒られた。
バレる前なら詮索され、報告義務が課せられ、言う通りにしようが
しまいが、指導が入った。しかもその指導には明確な答えが無かった。

父は頭が悪かった。

母は興味が無かった。

こんな環境だったから、かどうかはわからないが、小さい頃から
人より疲れやすかった。いつも眠たかった。かといって夜は
ぐっすり眠れなかった。そりゃそうだ、授業中に寝ていたから。

徹夜で遊ぶような体力は昔からなかった。
病院でどんな看護師にも再検査をされるのが肺活量で、あんまり息もしてないんだと思う。低血圧で、血の量も少ない。
運動の成績は普通だった。体力、筋力も平均的。

ただ、気力が無かった。
頑張るのがしんどい。疲れやすい。特に自分の為だけに何かする気には全くなれない。
料理、掃除、お洒落、自分の為に何かするのは罪だと思って育っていて
親は私が失敗すると喜んでイキイキと説教をする事を楽しんでいる。

死にたいと思った事はない。

大体の人もそうなんじゃないかと思うが、どちらかというと楽に消えたい。
ただ、家族や友達が悲しむから生きながらえている、と言う方とは意見が違う。私をそんなに気にしてる奴なんかいないし、私が特別大切に思っている人たちは、私の存在に関係なくきちんと勝手に幸せになれる人である。

一人だけ、おそらく悲しんでくれる人が居るが、その人は知り合いなら誰の死でも悲しむ人だから、私が私であるからどうというわけではない。

こういうわけで、私は特に誰に望まれるわけでもなく、かといって自らイキイキしているわけでもなく生きている。

こんなに気力がなくて疲れやすいものだから、当然、一般的な会社員は出来ない。しんどすぎる。コミュニケーションもそうだし、毎朝出社して5連勤6連勤して、休日や仕事後に家事や趣味や恋をするような気力は到底残っていない。その為、フルタイムで働くと、働いて寝る、だけの繰り返しになってしまって生きている意味がないと思って辞める。

結局、今はしがない自営業で自分の出来る事をして生きている。出来る事があるだけマシといえばそうだが、別段人の生活に役立つ技能でもないので、景気が終われば生活も終わるような仕事だ。

生命力がある人を尊敬している。

血圧が高そうで、肺活量がありそうで、徹夜できる体力、仕事や趣味や恋愛に没頭する欲求、何もかもが充実していてドラマチックだ。

到底ついてはいけないが、自分と似た様なつまらない生き物と居るより元気を貰えていい。自信とバイタリティに溢れた相手は、私のような受け身の人間に話を聞いて貰える事や尊敬される事を好む事があって、たまに構ってくれる。

親にすら正しく構われずに育ったから、親より素敵に見える人が私の事を好いてくれるはずがないと思っているので、恋愛にも非常に謙虚な姿勢でいる。
相手が幸せであるならば、近づきたいと思わない。役に立てる事があれば、たまに遊んでくれたら嬉しい、その程度である。私がその程度の存在だからだ。

ただ、相手が私につけ込んで利用しようとしてきたら、非常に憤慨する。
私は都合よくつかわれるのが嫌いだ。努めて都合よく振舞うが、相手がそこに甘えてきた瞬間に絶望する。こいつもかと。親がそうだからね。

何が言いたかったのか忘れたが、無気力でも誰からも必要とされなくても生き物というのは生命力があって、じっと動かずに餓死するほどの根性はない。そこまでの苦痛に耐えるほどの気力がないというか。

つまり無気力は、あらゆる苦しみ、痛み、辛さしんどさからちょうど距離をとれる場所でヌルヌルと生きている。

イキイキとしたドラマチックな人生、好きなモノへのパワーとは無縁だから、ありとあらゆる主人公には感情移入できない。

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