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『違国日記』、そして子が1歳を迎えるということ

注 :このブログは、2ヶ月ほど前に書いたものですがなんとなく復活させてみました。

「違国日記」という漫画を、めちゃ好きな後輩にずっとおすすめされていて、それをようやっと数ヶ月前に読んだ。
初めは電子書籍で読み始めたが、すぐに「ああこれは人生の節目節目で読み返したくなるだろうな」と悟り、改めて単行本を購入。
「あなたの感情はあなたのもの」という主題が一貫して流れていて、すごく、真摯な作品だなあと感動した。今の私にジンジンくる。
子と向かい合っている日々で、「こういう場面で自分に言い聞かせたいな」と思う主題だ。

子はあともう少し経つと1歳を迎える。
生まれた直後に見た時は、コアラの赤ちゃんみたいだ、と思った。
「ぼおっ」として、なんで私はここに……といった感じで。
完全に「よくわかってない」生き物がこの世に存在するんだ〜!!とびっくりした。
世話をする中で、「これアマゾン(リアル密林のほう)の中だったら即アウトだよ」と思うこと多数だったけれど、なんだか気がついたらここまで来た。
人間が天寿を全うするまで生きるのって、すっごい確率なんだな!なんなら自分も!と元気づけられた。

寝返りを打つようになった5ヶ月あたりから成長の速度がものすごくて、
すぐにずり這い、ハイハイ、つかまり立ち、何もないところで立つ(そして尻餅をつく)ができるようになった。

面白かったのが、子が転んでも親が「うわーーーー!」などと慌てる様子を見せない限り、
意外と本人はケロっとして生きている、ということ。
親の表情をよく見ているんだなあ、という感心と、
私の想像する「この子の痛み」は、あくまで私の想像に過ぎないのであって
まずは本人が「それ」を感じる、その機会を奪っちゃならないな。と感じた。

子と向き合ううえで、どうしたって自らと母との関係性がいつもいつもちらつく。
その上で、本当に大事にしたいのは「この子は他人であって私じゃない」ということ。
そして、これは夫に対しても心がけてきたことだけれど、「その言葉、身内じゃない相手にも言える言葉?」という問いかけ。
超えてはいけない一線っていうのが、全ての関係性の中にあるんじゃあないだろうかと思う。
いつかこんなこと言ってられないくらい、子どもに当たり散らしたくなる時が来るんだろうか。

母と自分の話は、これからも機会があればこうして文章にして振り返りたい。

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