夢の話

 最近、またよく夢を見るようになった。
しかもどういうわけか、昔の夢らしいのだ。それも更にどういうわけか昔よりも周りの状況がより詳細に見えたり時間が進んでいたりする。

最初この現象を怖く思っていたのだけど、あるきっかけで納得した結果恐怖感があまりなくなった。

何故?と言われると、物事の考え方が変わったからだと言えばそうだし、単純に精神的に少しだけ成長できたからではないか?とも思えたりするし、明確とまで行かなくとも自分で納得のいくところに落ち着いているからそれでいい。
と、落ち着きのいいところを見つけた。

……という話をしようというのが、今回のお題だ。




私がよく見る夢

 私が見る夢の種類が何通りかあって、かなり現実に近くて夢が覚めるまでわからないものや、夢だからこそこんなことが起こってるんだと自覚がある夢までまぁざっくり自分なりに分けられるものがある。

 子供の頃、
「落ちる夢って怖いよね~」
なんて話で盛り上がったことがよくあったけれど、とかく未知の経験を夢でするようなこと自体ちょっとだけ憧れを感じたりしていたものだけど、未だそれが心のどこかに残っている気がするのは気のせいではないようだ。

 本題に入るとして、私がよく見る夢の中にジャングルジム状の森林地帯というか……ジャックと豆の樹にでてくるような蔦状の植物が工事現場の足場的な並びでかなり高いところまで上がれるような風景で天気は決まって晴れだったりする夢があるのだが、最近この夢を見て思い出しながら言語化したのが初めてな気がする。
そこに家族が現れて何等かのジェスチャーをしてたりとか犬が走り回ってたり、岩人形らしきものの後ろ姿を見て終わったりとか(よく覚えているものだ)色々パターンはあったのだけど、大体視界がとても狭くてあまり遠くまで見れず角度的にも狭い角度でしか周囲を見ることができなかった感覚があって取り留めもない内容でそれは今も変わらない。

最近、その視界が広くなってたり、時間の進む感覚が前よりはっきりとあって場面の切り貼りしたようなチグハグ感がうすい夢もたびたびあるようになった。
ここが目次前の最初に言ったとおり怖いと感じてしまったのだ。

しかしながら、あるきっかけがあったためにそれを紐解く糸口をちょっとだけ掴んだような気がしたのだ。



ホラー作品に触れていた時のこと

 私はホラーをあまり嫌いではなくて、怖いもの見たさゆえについ祖母が机の隅においてたグロすぎるおよそ常人の誰がみても気持ち悪くなるような描写の数々を描く漫画集を小学校の頃吐きながら読んでいたことがあってどちらかといえば好きなのかもしれない。

それは置いておいて、そういう見かけ上(物理的)だけじゃなくて心理的なものも含めたホラー作品に触れることについてちょっとだけ思案していたことがあって「恐怖を覚える」ってそもそも何なのだろうということに焦点をあてて考えていたことがある。


 最初に私が出した答えを示させてほしい。
不透明でわからないものでかつどちらか言えば悪いこと、特に痛みを伴うような出来事が起こる予感とセットになったとき恐怖に繋がりやすいのだろうと結論づけたのだが……。

あるホラー作品に触れたときにどうしても怖くて眠れなくなってしまって、夜通しそんなことが起こるわけないのに起こるかもしれないという可能性を捨てきれず、大の大人なのにおびえていたりしたこともここ数年のうちにあったりした私なのだけど、誰にでも起こりうる恐怖に焦点を当てたような作品の文脈を瞬間的な恐怖シーンに結び付くフラグとして要所要所の要素を混交してしまっていたことに気づいたことがあって心の持ち方や考え方とリンクしているのでは?と、思い至りその作品の背景となる知らない知識や文化、歴史の背景を調べていくと恐怖が和らぐことを知り、自己分析に結び付くきっかけを持たせてくれたなと思ったことがあったのだ。



このきっかけが前項の既視感に結び付くことになったりしたわけである。



透明にしていくことを覚えた

わからない、いわば不透明なことをそのままにしておけば恐怖や不安、焦燥感など理由のわからない負の精神状態になって日常に差しさわりがでるどころか異常をきたし体調を崩す、なんてわかりやすい異常がでてくれればそれをすぐにでも解決しようとするだろう。

しかし、そこまで気にするほどのことでもなくそのままで問題ないと判断すればそのままでやっていくことになるのは誰しも同じでは、と。

私は面倒くさがりで、勿論ずっと深く考えずそういうものだとほったらかしにして部屋の掃除もあまり好きじゃなく、年一回すれば良い方だったのもまだ5年以内の話だったりするわけだけれども、そのくらいの頃に整理整頓することによって、日常の効率がよくなり仕事が早く終わったり家事も手際よく終わらせることによって空いてる時間を作り出すことによって心の余裕ができるようになったりして、それまでの面倒臭がって今までのやり方を変えないでいた自分を大いに恥じた。

掃除や整理整頓の大事さは、何も「部屋」に限ったことでなく自分の「心」もそうらしいということにその5年以内に気づいたのだ。
元々A型気質だった私は、とことん思案に明け暮れて、自分の性質って結局過去の経験がきっかけだったり環境的な原因だったりしたわけで、すぐには変えられずとも変えようと努力すれば少しずつ変わることにも気づけたりしたけれども、無理に変える必要もないこともあると落ち着いたのだ。

そのままで良い自分と、変えた方がいい自分の整理整頓をしてみると意外とやることって少なくてそこまで構えなくていいことで、あとは時間が解決してくれる。そんな感覚をテニスプレイの基本動作に準えて考えるとしっくり来てて自然とそこに戻ってくるんだなと。


 つまるところ要約すると、よくわかってない不透明な自分を自分で自分自身をわかることによって少し透明になったのだ。
ただそれだけで随分と楽になった、ただそれだけなのだ。

回りくどかったが、これが初項への足掛けだったりする。
そして実質題目的には終わっている……。



夢ってやっぱり不思議

 夢に自分の深層心理が反映されているのは確かで、覚えている範囲の夢の出来事を分析すると、最近のあの出来事が関連してたのかな?と思うことがあるのだが、それをどういう変換をしたらあんな夢になるのかなんて、はっきり言って謎がすぎるのだ。

結局よくわからない。凡庸な私には。


 でも、夢を見る好奇心というか、単純にわからないものって恐怖にもなるけれど、未知への希望にもなるのは確かで、それは自分の中にある他力本願な願望の現身(写し見)とか生存本能と結びついた恐怖とか、日常経験での感情とかが色々結び付いて見せてくれるんであろうし、二度と完全な同じ夢ではない夢は、ちょっとだけ、まだ見たことのないホラー作品を見た後、くっそ気持ち悪い吐き気を催すことになったにも関わらずまた新しい次の作品を探し何かを期待してしまう、そんな救えない心もちに似通ったものがあるよね……と何となく思った今日この頃なのでした。


……つまるところ、良い日もあれば悪い日もあるの延長だと下らない推論の果ての戯言にお茶を啜らせてもらいまして、もやもやする気持ちを読者のあなたに届ける不届きな行いをちょっぴり悔いた、そんな書き物でした。



 縁日、時を選ばずしてなんとやら……徒然なるままに一筆お目汚しながら、ここまでご拝読くださったとは、感謝で御座いまするよよに。
(キャラ意味不明)(それではまた。)

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