ずっとなりたかったんです。詩織様の、下僕に「、を喰らう」第三章 ー 2 【、を舐める】
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昼のチャイムが鳴り、フロアにいる半数ほどの社員は昼食を求めて席を立った。
午前中の業務はちっとも捗らなかった。
おまけにコーヒーカップを二回ほど倒しそうになり、キーボードの音しかしないフロアで「わあ!」とちいさな悲鳴をあげてしまった。
午後はしっかり集中しよう。
ミスをして叱責される姿を氷山に見られたくはないし、公私混同もしたくない、と思ったけれど、買い出しにかこつけて連絡先を交換している時点で、私はすでに公私混同していた。
そしてそれが現状を招くきっかけとなった。
「詩織、お昼は?」
中野に声をかけられ、私はコンビニの袋を軽く掲げた。
「今日は買ってきた」
「なんだあ。土曜の話、聞けるかと思ったのに」
「……また今度ね」
ランチに出かける中野を見送り、サンドイッチや総菜をデスクに広げてスマートフォンをタップした。
青と黒の寂しそうなグラデーションの画像が、視界に飛び込む。
氷山からの、メッセージ。
反射的に氷山の席を見ると、氷山は席を外していた。
胸を撫でおろし、スマートフォンに視線を戻す。
『土曜日にお会いしていただけませんか、詩織様』
心臓はドクン、と大きく跳ねた。
もちろん迷いはある。
それでもイエスかノーなら、答えはイエスに決まっている。
逸る気持ちを抑えながら画面のキーボードをタップしていく。
三文字ほど入力したところで、私はふと大事なことに気づき、指を止めた。
すぐに返信するのはいかがなものだろう。
いかにもメッセージを待っていたような、誘って欲しかったような、そんなふうに思われないだろうか。
せめて一時間。
いや、二時間は空けてから返事をする方がいいだろう。
そもそも土曜日でいいのだろうか。
下僕からの誘いを快諾するような女王様を、下僕は望むだろうか。
だけど『土曜日は無理だから、日曜日』と返信して、氷山が日曜日は空いていなかった場合は会えなくなってしまう。
その場合は『私に予定を合わせろ、この豚野郎』と返せばいいだろうか。
それとも『それなら二度と会わない』くらいの突き放した返事をした方がいいだろうか。
私には女王様としての振る舞いの正解がわからない。
いったいなにが氷山にとって正解で、氷山を満たし、心を躍らせるのだろう。
考えているうちに昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。
私の手のひらのスマートフォンはすっかり生温くなっていた。