『オーバーヒート』の読書感想文
この前、調子が良かったので読みかけの『オーバーヒート』をモリモリ読んだ。たしか次の日は出勤だったが、久しぶりに本に夢中で眠れない経験をした。やはり読書メーターは体調に左右されるのだなと体感。
まずタイトルがかっこいい。ロマンを感じる。それから受賞の言葉もイカしている。唸りました(おお、これは『マジックミラー』のほうだった)。
全体的な印象として、何だか励まされるような内容でした。ちょっと頓珍漢なこと言ってると思うかもしれない。ほんとうに読んだのか?と。でもほんとうなんです。騙されたと思って、是非その視点でも読んでみて欲しい。元気がでるというか、この小説は「開かれて」いて、だからこそ深層的な部分に訴えてくるものがあるのだと思う。人間や生活って一面的なものではなくて、そこを全て飾らず書き出しているその「姿勢」が土台になっているからこそ、文章が淀みなく自分の中へ入ってくる。
◎ まず千葉先生の書くエロスは(といっても書きながら頭にあるのは、まだオーバーヒートだけなのだけど)、それが主体とならないように感じる。つまり、飽くまで日常のなかの一部に彩りとして淑やかに備わっている。主張されすぎていない。だからダレることなく読んじゃう。たとえるなら、私は『狂四郎2030』という名作漫画が無茶苦茶好きなのだけど(検索してどうか引かないで欲しい)、あの漫画にもエロスはある。だけれども、きちんと社会風刺をしていて、物語としての主軸を乗っ取っていない。その絶妙さは高等的な設計で、その緻密な構成から漏れ出た光にこそ味わいがある。
◎ 授賞式での一幕は、こちらも読んでいてドキドキした。あれは伏線だったのかと、物語の展開に驚いた。驚くと同時に、人生は伏線だらけだよなとも思った。「事実は小説より奇なり」とはまさによく出来た言葉だと思う。どこまでが事実/小説かを読者に委ねている懐の広さを感じさせる。バルトでいうテキスト論を率先して提供している感覚とでもいうか。そうしたところに凄みや面白みを受け取った。
◎ 紫婦人の話は大変興味深く拝読した。いわゆるモースの贈与論を見事に切り取っている。本人たちも気づいていないであろう点を分析・考察しているところに哲学的センスが光る。本質だけを見抜こうとする姿勢はアプリオリなものか、アポステリオリなものか、世の中の解像度が高く見えることは危機を回避できることでもあるが、同時に見たくないものも見えて辛いものでもあるよな、と思った。恐らく、通常の人よりインプット量が否が応でも多くなり、Twitterなどでアウトプットしないと、ぎゅうぎゅうになるのではないかと拝察した。と、ここまで書いて小説の読書感想から逸脱しているではないかと、軌道修正。すみません。
◎それから、文中に語られる死生観にも共感した。私自身、死への欲動があるわけでは全くないが、人生や生死に対して、ある種の覚悟や諦めがある。そうしたところに共鳴した(あるいは、勝手にそう解釈しただけかもしれない)。もっとも、そんなに思想は容易く折り重なるものではないにしても。文章から出る「思いきり」は、そのような部分にも依拠しているのかもしれないな、というふうにお見受けした。だからこそ突き抜ける。決して浮き足立つわけでもなく、地に足がついていないわけでは毛頭ないのに、どこか幽体離脱して現世を眺めている。『オーバーヒート』全体からはそんな印象を受けた。
と、まだまだ書き連ねたいところが沢山あるけれど、流石にネタバレになってしまう(これでもちょっとヒヤヒヤしている)。ネタバレを回避しようとしたら、読書感想から逸脱しっぱなしで、変に分析的になってしもうた。
いやはや、ほんと面白かった。永久保存版です。ほかの作品も読んでみよう。
じ、自分事ながら、大変えらそうに書いてしまった…( ̄▽ ̄;)汗汗。
今後とも、ご活躍も楽しみにしています(見ているはずもなく)。
追記: ◎ 指導学生の場面は、大変感動した。何がって、わざわざ県をまたいで主人公を追いかけるほどの熱情がある学生さんを登場させるなんて、なんて人情味溢れる粋な計らいなのだと思った。こういう節々に、こころが垣間見えるから、読者の胸を打つのであろう。
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