シャーマニズム/人類学について

2021/4/14 寄稿

シャーマニズム(shamanism)についてーシンガポールの事例からー

 まず具体的にシャーマニズム/シャーマンとは何ぞや、と思われることと思います。以前に『シャーマンキング』という霊能力者がその能力を使って戦う漫画がありましたね。ああいった感じを想像していただけると大変分かりやすいかと思います。シャーマンはその定義や概念も各学者や地域によって様々であり、厳密に統一されているわけではないです。ここでは、各学者あるいは地域に基づき、記述させていただきたいと思います。

 たとえばより分かりやすくするために、ある一例を文献から挙げてみます。シンガポールでは、「生き神」と呼ばれるある女性が居ました。彼女を訪ねて観光地では、多数の人々が順番を待ち、儀礼を行います。彼女はときには、自らの舌を刀で切り、流れた血で神語を記します。人々はそれを御守りになどにし、「生き神信仰」をしています。

 貧困家庭に生まれた彼女は、中学生の頃に、突然トランス状態に陥って以来、身体を動かせず固着するなど、数々の不思議な経験をしました。彼女のような存在は、タンキ―(童乩=tang-ki)やキートン(乩童=ki-tong)と中国人の間では呼ばれています。研究者や現地の間では、そうした存在を霊媒(spirit medium)や生き神(living god)などと呼びます。このように、学者や地域によって、捉える概念はおおむね同じでも、名称など様々であることがシャーマニズムの一つの特徴です。

 ここで面白いのが、タンキ―は全て、自ら志願したわけではなく、神に選ばれてやむを得ずそうなったと述べているんですね。秋元康のプロデュースのようです。そこで抵抗するとますます心身異常が強まり、最悪の場合は死に至るといいます。そしてタンキ―らは、イニシエーション(initiation)として「聖なる病(巫病)」を経験します。眠気、顔面紅潮、全身けいれんなどなど。これは、超自然界と直接交流するための反復的な苦痛であり、私にはこれは「死と再生」とも捉えられるような気がするのですが、こうした異常な状態を日本では「神がかり」と呼んでおり、多くの学者においてそれはトランス(trance)やエクスタシー(ecstasy)、あるいは心的分離(mental dissociation)と呼称しています。トランスあるいはエクスタシー状態においては、宗教的観念や献身的観念、または完全な服従感が意識のほとんどを占めるとのことです。ある性格的、境遇的なものも関係しているのでしょうか。それとも、そもそも運命づけられているのでしょうか。


探求する意義

 ところで、いま参考にさせていただいている文献は1992年に第1刷刊行され、そのときの時代背景あるいは流行下において、一時シャーマニズムというのは巷で知られていたようですね。アメリカでは、チャネリング(channeling)といって、霊や神仏、宇宙人などの物質科学の領域を超えた存在と催眠状態でコンタクトするといわれる方法があり、それは1980年代のニューエイジ運動により一般化しました。何だかシャーマニズムの概念を彷彿とさせますよね。実際に、チャネリングとシャーマニズムを紐づける言説もあったと佐々木宏幹は述べています。私には何だか、メスメリズムをも思い浮かび上がらせてしまいます。治療者と被治療者が、催眠によって交流するという点において。もしかすると動物磁気も関わっているかもしれませんね。しばしば、臨床心理/精神医学の方々がシャーマニズムに辿り着くのは、そうしたラポール形成において、あるいは事例で起きる超自然的現象について、たとえばユングなどを入り口として探求するために、学ばれる由縁になっているのかもしれません。

 よく知られることとして北アジアにおいては、シャーマンが祭司、祓魔師、託宣師、呪医、予言者などの職能を兼務しています。そうした包括的な名称は祭司(priest)とシャーマンあるいは霊媒であり、そのうち神や精霊に直接関わるのが後者の二つです。直接の関わりにも様々あり、神が憑依して、神そのものとして人々に施しをするタイプや、シャーマンから霊魂が離脱してあの世とこの世を行き来する有名なエリアーデの理論などがあります。特にエリアーデの理論は非常に神話的であり、物語が普遍性を持つものであるのならば、こうした死と再生や通過儀礼、冥界(天界)と地上界の反復で痛みを伴うなど、決して個別的なものでなく、何かそこには集合的な無意識が働いているのではないかと、私は感じました。

 区分分けが微細であり、なかなか記述も困難です。それほど、世界中で様々な様相を呈しているわけですね。また様々なカテゴリーについては別の章で後述いたします。

 最後に、今後私自身においてより調べていく課題(あるいは反証可能性)において、シャーマンと偽装し人々を騙す際に見分け方があるのかということや、「聖なる病(巫病)」において、幻聴や幻覚、あるいはカタレプシー(catalepsy)があるといいます。また、自分を神と信じる「主観的事実」について。それらと統合失調症の区別をどうしているのか、など引き続き調査を進めていく必要があるように思えます。いずれにしても、世界各地でこれだけの学説や研究があり、目撃者が多く居ることにおいて、上記のアンチテーゼだけでは片づけられない論理がそこに存在しているような気がいたします。日本やアメリカなどにおいても「シャーマン」として認知されている事例があるということ、そこには単なる病気だけでは済まされない神秘体験のようなものが存在している気が、私にはしてならないのです。


参考文献:伊藤耕一郎氏『霊とマスク:コロナ禍における精神世界の実情』関西大学(2021)(file:///C:/Users/ishiy/Downloads/KU-1100-20210311-01%20(1).pdf)

佐々木宏幹著『シャーマニズムーエクスタシーと憑霊の文化―』中公新書(1980)

     佐々木宏幹著『シャーマニズムの世界』講談社学術文庫(1994)

     三浦正雄氏『〈インタビュー〉葉祥明氏へのインタビュー(1):霊性(スピリチュアリティ)をめぐって』埼玉学園大学(2018)(file:///C:/Users/ishiy/Downloads/31_miura.pdf)

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