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記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
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僕がネタバレを気にしなくなった理由

いつもの仲間内と鼻ほじりながら会話している最中に最新作品の話が出たとき、真っ先に気を張ることは夕飯の献立よりもネタバレではないでしょうか。
聞く側はこれからの楽しみがなくなるためネタバレを聞きたくない。話す側は相手が嫌がるからネタバレを話したくない。よく分かります。話のオチが分かってしまっていたら楽しみが減ってしまいます。

今のところ、タイル張りの溝より浅い僕の人生史ではネタバレ聞きたくない派とネタバレ話したくない派がいるわけですが、第三勢力として僕はネタバレを大して気にしないという圧倒的少数派に属します。シヴィライゼーションならば敵国から交渉されるまでもなく叩き潰されるような存在です。

大して気にしないってどういうことなの?という話ですが、別に積極的にしなくても良いけれど、ネタバレ気にして会話切れるくらいならして良いよってくらいの考えです。ネタバレよりも会話の流れを滑らかにする姿は、面接で自分の長所は人間関係の潤滑油ですと答える学生を彷彿とさせます。

そして先日、存在が末期みたいな連中で集まった後の駅で電車を待っているときに鼻毛の出ていたオッサンとこの話になり深く掘り下げる機会があったので今回noteを書きました。ちなみにここでは映画のこととして話を進めます。

ネタバレを大して気にしない

宣伝や広告を目にしたときから楽しみにしていた映画。どんな楽しませ方をしてくれるんだろう。
そんな期待感を胸に含まらせ映画を見始めます。そしてせっかく見るなら結末を自分の目で見て体験したい。そりゃそうです。僕だってそこが楽しみです。どうせならその体験を自分の中で自分が初めてしたいはずです。しかし、僕はそうもいかないんですねこれが。

ホラーやパニック物なんかを例にすると
登場人物たちが屋敷とか施設とかそれっぽいところに入って事件に巻き込まれます。途中で怪物に襲われながらも事件解決の糸口を見つけ、命からがら脱出します。
この内容だと、怪物の正体とか事件の解決方法とか、誰が死んで誰が生き残るとか、そういったものがネタバレになり視聴済みと未視聴間の会話ではタブーになるかと思います。

なぜ僕がネタバレを大して気にしないか。
原因は人間です。

僕は映画を見ていても画面に映っている人たちの名前と顔が一致しないんですよ。どれだけ面白い内容で最後の結末に驚かされるような内容でも、名前と顔が一致しないまま話がずっと進むんですよ。これはつまり、大変端的に申し上げますと馬鹿というわけでございます。

日常生活ですら僕に名前と顔を覚えてもらうには三顧の礼が必要だと言われたくらいです。たかが1時間半程度の映画に出てくる人間の顔と名前を覚えられるわけがありません。何の役にも立ちそうにない諸葛亮です。
さすがに、上映時間の半分以上映っている主役級の人であれば顔も名前もこれでもかというくらい出てくるので覚えられるのですが、たまにしか映らない人や後から合流した人とか、こういう人たちが死んだりいなくなったりしたらもう大変です。誰か死んだっぽいけれど誰が死んだのか分からないんですよ。もしかしたら観測していないだけでシュレディンガーの死者かもしれません。

始まりでは、何が起こったかも分からず誰かが恐怖したまま死んでしまいます。この映画はここから盛り上がるところなのに、僕は誰が恐怖したまま死んだのか分かっていません。
中盤では、勝手な行動をした名前の分からないブロンドのアバズレを助けるために誰かが犠牲になり、「お前のせいであいつが死んだんだ!このビッチめ!」と責め立てグループは分断してしまいます。しかし、僕はお前のせいで死んだあいつが誰なの分かっていません。
終盤では、皆の死を無駄にせず生きて事件解決に向かいます。盛り上がりのピークですが、僕は死んだ皆が誰なのか分かっていません。
終わる直前では、カメラによく映っていた人が生き残っているので誰か分かります。つまり僕は初めてみる映画では、最後にいる人間しか分かっていないということですね。僕の脳ミソはメモリの使用量が少なくて済むクールな設計です。

人間が分からないだけならまだ良いのですが、上映中に「こいつ誰だ?」と考えてしまうとその後の映画の内容にも影響を与えます。
一難去ってまた一難みたいなことが起こると去った後の一難が頭に入ってこず、何か起こったらしいが情報はずっと前のものという状態になります。三匹目の子豚が頑丈な家を作った絵がズババーンと出ているのに文字では長男の家が吹き飛ばされているという状態です。
そのため僕が映画を楽しむのであれば、「こいつ誰だ?」を考えてはいけません。

特に難しいこともなく終わる映画なら良いのですが、前にいなくなった人が実は黒幕で最後らへんに出てきて「この騒ぎ、お前だったのか・・・」という男の子の心をくすぐる格好良い演出なんかは厄介です。
「この騒ぎ、お前だったのか・・・」と言われても僕は「こいつ誰だ?」が必ず最初に出てきます。感覚的にはゲマの上司を初めて見たときと同じです。
こうなるともうこの映画を見ている最中では修復不可能。誰なのかは分からんが正義の鉄槌を食らって終わるところを見届けるという見方に専念しなければいけないのです。

映画が終わった後、数学の授業で分かった気になった微分析分の回答を見るかのように公式サイトを見にいきます。「こいつ誰だ?」とか「こんな奴いねーよ」とか記憶を頼りに情報を繋ぎ合わせて何となくそれっぽいような形で「ああ、なるほどそういう映画ね」と理解させます。僕のウツボカズラの消化液のような脳ミソだと、この工程を踏まないことには見た映画を理解することはできないわけです。

しかし、先にネタバレを食らっていた場合どうなるか
こいつが黒幕とか、こいつが助かるカギとか、こいつが死ぬみたいなのを分かっていると、「こいつ誰だ?」がなくなって映画そのものが楽しめるんですね。え?これ本当に映画楽しいの?ってなるかもしれませんが、僕は誰だか分からんが話が続いているより、誰か分かっている状態で映画を見ている方が頭に入りやすいんですね。他の人に比べると損している脳ミソだなとは思いますが、これはこれで楽しめているので良いかなとも思っています。

ちなみにこの話、映画だけに限らず漫画や、ゲームでも全て同じです。特にその作品の固有名詞なんかがかなりきつい。
練りに練ったカッチョイイ名前の面白いゲームシステムなんかもチュートリアルで名前すら覚えられず、そこに意識が行ってシステムの使い方も分からずチュートリアルが終わります。ゲーム内で、いつでもチュートリアルを確認できるぞ!と言われても固有名詞が分からないから、その情報に辿り着くためにチュートリアルを上から順に見なくてはいけません。ドラクエのルーラなんかでも、町の名前が覚えられなかったので上から順にルーラして目的地へ飛んでました。早い話が苦行です。
ですが、小説なんかだと自分の想像する顔と名前を一致させられるからなのか全部ではありませんが比較的覚えていたりします。何の役にも立たない人間の神秘を感じます。

ということで、大半の人はネタバレが嫌いだろうけれどネタバレを大して気にしない人間もいて、そいつの考え方はこんなだよというお話でした。何かあれば圧倒的少数の敵国だからと叩き潰さずに交渉しにきてください。

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