「若いうちに苦労しろ」とは思わないけど、「若いうちに失敗しとかないとやばそう」とは思う。
noteをやる理由は前の記事で軽く書いたけど、もう一個理由あったなと思って、それが「若いうちに失敗しときたい」。というか、「若いうちに失敗しとかないとやばそう」だから。
名のある編集長になってから、noteを始めて失敗なんてできない。なので、名もなきうちにやらないとと思って年明けすぐに始めた。
苦労より失敗を意識する
そもそも仕事における苦労を負荷と考えた時に、3種類あるらしい。それが、仕事の「質的負荷」、「量的負荷」、「人間関係負荷」の3つ。
「若いうちに苦労しろ」でイメージされる苦労とは主に、「量的負荷」やそう言ってしまう人がいる「人間関係負荷」と想像できる。でも、成長に良い影響を与えるのは、仕事の難易度など「質的負荷」であると。
ふわっと“苦労”と考えて苦しい状況を耐えるより、もっと具体的に、自分にとって難易度が高いかを意識しないといけない。難易度が高い状況にいると、常に失敗なしで進むのは難しい。そして、失敗であれば定量化できそう。
若いうちに失敗しないと
実は、昨年大きな失敗をした。個人で続けていたメディアを売った。俗に言うEXIT的な成功ではなく、明らかに失敗。
事業としてグロースさせようと始めたものだったが、自分ではもう拡大できないことに気づいていて、ほぼ無料みたいな金額で売ってしまった。可能性を見出したくて残しておいた部分もあるが、明確に“失敗”として区切りをつけないと、次に進めないと思ったから。
メディア運営を振り返ると多くの学びがあったし、成長した実感もある。反省はたくさんあるけど、チャレンジ自体に後悔は一切ない。このレベルの失敗を素早く、たくさんしないと、成長が鈍化する。逆に、この挑戦をしていなかった世界線を考えると、ゾッとする。
多くの経営者を見ていると、これよりも大きな挑戦を素早くして、失敗を失敗と思っていないふしすらある。
ユニクロ 柳井正さん
SmartHR 宮田昇始さん
失敗している方とどんどん差がついている。社会から取り残されていっている感覚がある。早く9回失敗したい。毎回失敗するごとに、「成功まであとn回じゃん!」って喜びたい。
会社のメディアは失敗できなそうなので、個人noteで失敗しとかないと…