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ユウスナを吹き飛ばして
朝起きてからしばらく、何かの曲が頭の中を繰り返しぐるぐる回っていることがある。ごくたまに、夢の中で見た知らない曲だったりすることもあり、そんなときはとうとう自分にもポール・マッカートニーが降臨したか、などと途方もない勘違いをしそうになるが、もちろんそんなに大した曲ではない。たいていは知っている曲、それもきわめてどうでもよい曲だったりする。今朝なんて、西城秀樹の「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」だった。何なんだ、いったい。冷え込む朝っぱらから騒がしいったらない。
原曲はヴィレッジ・ピープルというアメリカのグループが1978年に放ったディスコヒットであり、このグループも楽曲もゲイカルチャーをコンセプトとしていたようだ。そんなこと、当時小学校低学年だった自分が知るわけもなく、歌に合わせて「Y」「M」「C」「A」の文字を表現した踊りを踊って楽しんでいただけ。西城秀樹の洋楽カバーといえば、テレビの子供番組で「愛の園」という歌を歌っていたのを記憶していて、この原曲がスティーヴィー・ワンダーだったことをずっと後になって知った。
改めて調べてみれば、西城秀樹による「愛の園」のカバーには坂本龍一が編曲、松武秀樹がシンセサイザープログラミングで関わっているようで、なんだ、YMCAどころかYMOではないか。自分の子供時代にこんなところでも顔を出していたとは。「なんじゃ・もんじゃ・ドン!」という子供番組のエンディングに使われ、その番組は1979年~80年の一年間のみの放送。当時の自分は小学校1年生か2年生。しかし、こういう時期に聴いた音楽って意外と細部まで記憶していて、いま改めて聴いてみると、シンセの伴奏や編曲、そしてヒデキの歌声が、自分の頭の中に残っている音楽とほとんど一致している。この時期の自分の音楽体験に大きな足跡を残したテレビ番組といえば「ひらけ!ポンキッキ」抜きには語れないのだが、ビートルズ楽曲の断片をはじめとして自分に与えたインパクトがあまりにも大きいので、こんなところで何かのついでに語れるトピックではない。ポンキッキについては、いつか必ず渾身の気合いを入れて記事を書きたいと思う。
「YOUNG MAN」の話に戻ると、サビのところにこんな歌詞がある。
すばらしい
Y.M.C.A.
Y.M.C.A.
ゆううつなど 吹き飛ばして
君も元気だせよ
この曲が流行っていた当時、幼稚園児か小学一年生だった自分は、「ゆううつなど 吹き飛ばして」の部分の意味がわからなかったようで、「ユウスナを ふきとばして」とか適当に聞き間違えていた。ユウスナって何だ。夕砂?まあ要するに、「憂鬱」なんて言葉は当時の自分の辞書にはなかったのである。昭和の子供の暮らしなんて気楽なものだったんだろう。いや、その頃からすでに、団地の上の階に住んでいたカトウくんという友だちとの関係に何らかの問題を抱えていた覚えはあって、すでに後年の人生の基礎は出来上がっていたようだが、とにかく「憂鬱」という単語は知らなかった。あれから幾年月、52年生きてきて、もう憂鬱など知りすぎてしまって抗うつ薬のお世話になるまでに至った。
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「YOUNG MAN」のサビは「若いうちは やりたいこと 何でもできるのさ」という歌詞で終わる。むしろ自分が若かった頃のほうが、こういう若さを賛美する言説には反発を覚えていたかもしれない。年を取ってみると、あれもこれもできないなあ、とできないことリストが増えていき、肝心の「やりたいこと」さえとっさには思い付かない始末である。日々くたくたの頭と身体を引きずりながら、ロックンロール……などと時折呟くのみだ。まあそれでいいのさ人生は続く。これからもユウスナを吹き飛ばしつつ元気を出して、一日でも長く生きのばしたいと思う。