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夢は世界平和・2025年2月
当アカウントのプロフィールには「夢は世界平和」と書いてある。あるときから、自分がネットで作るアカウントのプロフィールの先頭には必ずこのひと言を入れるようにしている。元来の自分は、腹の中がどす黒くて性格が悪い人間なので、この言葉を入れておくことで、無闇に攻撃的にならないよう自分を戒める効果がなきにしもあらずなのである。それに、実際に世界平和は心から願っていることだ。ああそうだとも、愛と平和と相互理解の何がそんなにおかしいのか。
きっかけは10年くらい前、Twitterをやっていた時代のこと。とある日本の有名な女性俳優さんが自分の夢は「世界平和」だと語ったのだそうで、そのことをトンデモ発言的に取り上げた週刊誌記事がタイムラインに回ってきたのだ。このひと、頭大丈夫?みたいな。自分はその冷笑的態度に心の底から強い反発を覚えた(Twitterでもその態度に対して怒りのニュアンスで記事が紹介されていた記憶)。夢は世界平和、最高に素敵じゃないか。実現したらどんなにいいだろう。そのときから、自分はその俳優さんにささやかな賛同を示す意味で「夢は世界平和」と言い始めた。世界平和の実現が今なおはるかに遠い、むしろ近年はさらに遠ざかりつつあることは十二分に承知の上である。でも、100%絶対に不可能でない限り、世界平和を希望することの何が悪いのだろう。「夢は世界平和」連合に世界中の皆がこぞって参加すれば、我々はひとつになれるかもしれないではないか。少なくともジョンとヨーコはそんなことを想像してみろと言っている。こう書いていたら、まったく偶然にもちょうどBGMシャッフルで流れてきた。ピアノでなくギターで弾き語ったライブバージョン。この曲はこっちの方がいいかもしれない。
上記のことを踏まえて、旧ブログに書いた文章が下のリンクである。2019年の8月15日、第二次世界大戦終結の日から74年経った日付の記事。これは、今の自分にはもう書けないものである。2020年代に入り、コロナ禍やら華麗なる加齢やら色々あった末に、何だか自分自身の底が抜けてしまった感じがして、もうここまでまっすぐに物事を見ることができそうにないのだ。
今の自分には書けないけれども、書けるうちに書いておいてよかったなとは思っている。まあこれも単なる個人的な話であって、誰かの心を1ミリでも動かすようなものではないと思うけど、とにかく頭の中にあったものを書き出してネット上に残すことはできたのだから、よかった。ノーベル平和賞受賞者のダライ・ラマ14世もおっしゃるように、世界平和はまず個人個人の内なる平和から始まるのだ。今の自分も、ワールド・ピースの前にまずインナー・ピースをどうにかしなければならない。世界平和のためにはまず心の平安を。自分にとっては、文章を書くことがその助けになる(たぶん)。誰かを攻撃するのではなく、かといって合わない人間たちとうわべだけ仲良くつるむのでもなく、可能な限り互いを思いやりながらともにありたい。まずは心の平穏を保ちたい。そうすることができれば、世界平和の夢に1ミリぐらいは近づけると信じる。2025年2月の自分も、夢は世界平和である。