「だからビリーは東京で」。人.苦しみ.優しさの姿
お久しぶりの観劇感想はモダンスイマーズさんの「だからビリーは東京で」!
はじめに言っておきますと、長いです。
あとネタバレ満載なのでこれから観劇の方はご注意ください。
1.はじめに
蓬莱さんというと私は初夏に観た「首切り王子と愚かな女」の印象が強いド新規なのですが、本当、この作品がとても良くて。
このとき丁度メンタルと忙しさの追い込み時期で、沢山自信を無くした末、現実逃避のように直前になって衝動的にチケットを取ったのを覚えています。
伊藤沙莉さんのお芝居をどうしても観たくなって。よく取れたなと思います。
結果を言うと、このとき私はとても救われました。最後の演出で観た何もない舞台がとても美しくて。そこに感動して大号泣していました。
お陰様でモチベーションも上がり難局を乗り越え、精神的にも社会的にも助けられました!
ありがとうございます!(青汁のCM感)
そんな蓬莱さんの作品。アンカルと合わせて観に行くのは必須だなと思っておりました。
ただアンカル予定が合わなくて行けなかったんですけどね……未だにひきずっている……
だから今回とてもとても楽しみでした。シアターイースト行くのも久しぶり〜〜!
前置き終わりです。以下、私の主観と思い込み感想です。
2.コロナと夢と青春と
劇団は"青春"の姿そのものだと思っています。
慣れ親しんだ仲間がいて、作品づくりのためにぶつかりながらも1つのものに向かっていく。良くも悪くも、大人になっても"青春"と呼べる独特の空間だなって。
私は小劇団ではなく学生演劇の出身ですが、多分気持ちは少しだけ似ています。
主人公・凛太郎の入った劇団は、皆まあそれぞれ思うところがある。
それでも、稽古の外では盛り上がって車に乗り、酒を飲み、カラオケに行き、笑い合う。
これは本当に身に覚えがありすぎるのですが、言い出せない思いやわだかまりを抱えていても楽しくてかけがえのない時間を一緒に過ごすことはできるんです。
そしてそんな歪な楽しい時間がその人にとっての大事な瞬間や思い出、前述したような"青春"を作り上げているのだと思います。演劇に限らずです。
完璧ではない、なのに愛おしいこの楽しさに身に覚えがありすぎるからこそ、作中に出てきた明るいこのシーンに私は泣きました。
そこには昔の自分の眩しさがあったから。
そして何より、今この時代には許されない光景だったから。
もちろん大騒ぎするだけが楽しさではないですし作品をピリピリせずに作れるのが1番の幸せではありますが、それとは別の話なんです。
この2年。
私は沢山の人に出会い、大切な時間を過ごし、そして環境が変わって離れました。
交流の続いている人ももちろんいますが、私や相手の状況が変わるのに合わせて関係性も変わった場合がほとんどです。
仲良くなるたび、「コロナ落ち着いたら飲み行こう!!旅行行こう!!」なんて言い合っていました。無邪気にその時を待っていました。
でも、できませんでした。
これから何年後かに実現しても、それは当時の私たちとは違う姿をしているはずです。
大はしゃぎする凛太郎たち劇団員の姿を"今この状況だったら許されない光景"と書きましたが、私がここで苦しかったのは、同時に私と誰かとの、"もしかしたらあったかもしれない光景"を見てしまった気がしたからかもしれません。
自粛を後悔はしていないですが、少しだけ切なかったのです。
3.苦しみの種類
さて湿っぽくなってしまっている中また湿っぽい話で申し訳ないのですが、本作とコロナを思うなら"それぞれの苦しさ"という点も大切かなと思います。
「ビリーがロンドンに出てこの状況にあったら?」という問いがある本作ですが、少なくとも「アダム・クーパーになれなかったビリー」は世界に沢山いるんじゃないでしょうか。
(詳しくは映画「リトルダンサー」ね!)
エンタメ界に生きているとても尊敬している方から、アダム・クーパーになる/なれるはずだった人がその未来に行けなくなることを危惧している、という話をいつかに聞きました。
そんな未来への危惧から、そもそも先のことまで考えていられない苦労まで、この社会には沢山の状況が溢れています。
本作にて、凛太郎の父は最終的に国からの補償金を受け取ることになります(これがまた美談で無いのが良い)。飲食業ですね。
その他にも倉庫を畳む決断だとか、Uberが向いてないだとか、国外の恋人だとか。
置かれる状況は様々です。
現実の私の周りには病院勤めの方も飲食業の方もエンタメ業界の方もいらっしゃって、それぞれ苦労していることも聞いています。
けれど結局本当の苦労なんて、経験か、相当な踏み込み方をしなければ分からないですし、安易に「分かる」なんて理解者ヅラするのは失礼にあたる、と私は考えています。
(ちなみに不要不急論については某ライブに大はしゃぎしたときに思ったことがあったためそっちの記事に回します。遅筆マン上げられるかな!!)
言いたいのは、そのはずなのにみんな誰かの苦労に対して過敏になりすぎだよなってことです。
本作ではコロナ関係なく各々が他者には明かさない苦しみを抱えています。当たり前ですが人間はコロナ前からそうでした。
(ちなみに劇団の女性2人の独白は特にリアルにありそうですごい。
この前ジョン・ケアード氏がテレビで「ミュージカルは誰にも言えない秘密を歌う」みたいなことを仰ってたから、この作品がミュージカルなら2人は間違いなく同じメロディで名曲歌ってたと思う。)
ただコロナ禍になり、多種多様な苦労や助けを求める声がよりはっきり見えるようになった、のだと思います。
1つの場所の声に対して「みんな頑張ってるのに」「お前らの苦労なんて」「自業自得」、沢山追い打ちをかける言葉を見ました。Twitterあるある。その度に苦しい。
それぞれの苦労があるってことで「そうかそっちも大変だね。こっちも大変なんだ。どうしようか。」じゃ駄目なのか。
もっと、人が弱音を吐くことに対して寛容になれば良いのに。
みんなが罪悪感を抱えず弱音を吐ける社会であればいいのに。
コロナ禍であってもなくても。
こんな常々思っていることを、観劇しながら改めて考えていました。
ちょっと話が作品からずれちゃったーー。
無理矢理戻すと、きっと凛太郎や劇団がTwitterで助けを求めてたら袋叩きだったろうなって……話で……
4.優しさとは
駆け出しという点では私は凛太郎に割と近い位置にいるので全体的に結構観ててしんどかったです。
最後の"僕はこんなところにいたくないんです"の悲痛な叫びには本当にもうやめてくれ……ってなったのでお芝居が本当に素晴らしかったんだと思います。
ただ、しんどいからこそ優しいな、とも感じました。上手く言えないけど。
「東京は途中の場所」
この言葉がとても印象に残っています。
言い訳ではないですが、"東京は、ここにいる限り途中だと言える場所"という凛太郎の結論は、私がそうであったように沢山の人の心に刺さるのではないでしょうか。
ついでに東京のもつ無機質な優しさについては以下の記事でも話しています。
しんどいけど、しんどいのは自分がまだ途中にいるから。
人間の究極の結末は"死"だけれど、それとは別に辿り着きたい、辿り着く幸せがあるかもしれないのなら、ここはその途中。
途中ってことはこれからいくらでも変わっていく。
思い込みの強い男・凛太郎の事故シーンを観て少しだけ気持ちが楽になりました(言い方)。
状況は暗いままだけど、前に進む後押しを貰ったみたいな。
蓬莱さんは本作を作るにあたり「優しさとは何か」と考えたそうです。
その模索の中で生まれたこの優しさに、私は初夏と同じくまた後押しされてしまいました。
バトンだけ渡して、進むかどうかは個人に委ねるという優しさは、すごく"大人"だなぁなんて思います。
4.どこにでもある物語たち
ツイートにも書きましたが、前述したように各々の苦しみが分かりやすく表に出てきたこの時代だからこそ、"どこにでもある/どこにでもいる人の物語"は、今、とても強い力を持つのだと思います。
ロンドンに向かう時にはすでに自分の価値を知っていた天才ビリーではなく、価値が分からずあたふたする凛太郎と劇団員たちの物語。
外に行けない時代の中で人を落ち着かせるのは、
身近で話を聞いてくれる人
決断することが沢山あるこの時代で、自分の決断や人生を間違っていないと"赦してくれる"言葉
そんなものなのだと思います。
こうして人への寄り添いを物語として誰かに伝えられるということは、やはり素敵だなと思います。
ちなみに"どこにでもいる"と書きましたが本当にいる、というか似た人……知ってる……みたいな登場人物多すぎて普通にイライラしちゃった……
何かを始める時に1人でやり直す!とだけ言って周りのことを何も考えず自分だけすっきりする人、そして自分が先回りしている気になってるけど実際は自分がその相手を追っているっていう人、本当にいる……
似た人のことを思い出しておおん………状態になるのですが、時折挟まる滑らかなコミカルさが良い緩衝材になっています。
本人たちにとっては真剣そのものなこと、言い方でさらにイラッとさせるものが、ものすごく自然に馬鹿馬鹿しい言い争いに見えてくる。すごい。
ツッコミの仕方が狙ってるのに狙ってなさそうで笑っちゃうんですよ……そこだけじゃないけれど、役者さんと御本の腕にずっと感動していました。
まとまらなくなってきたのでここらで止めます。
雑なまとめ方をすると、この時期に観られて本当に良かった作品です。
私もこの途中の場所で、まだまだ頑張ってみます。
まさかここまで読んだくださった方がいらっしゃる……!?長くお付き合いありがとうございました!!!!