人生旅録 ドキュメンタリーを生きて 〜オーストラリアファームジョブ体験記〜
オーストラリアワーキングホリデーの仕組み
ワーキングホリデーとは、自国と協定を結んでいる他国において滞在中の観光、就学、就労を含む1年以上の長期滞在が可能な制度である。国によって就学期間や就労期間の制限があったり、滞在可能な期間は違うが、18歳以上30歳以下の日本国民であれば、現在は29か国でワーキングホリデーができる。中でも私が現在滞在中のオーストラリアは超人気国で、2023年は10000人以上の日本人がワーキングホリデービザで渡豪したそうだ。
オーストラリアのワーホリビザは原則1度しか取得できず、ビザの有効期間は入国してから1年間と決められている。しかし、例外として、1度目のビザの有効期間1年間の間に政府指定の職で88日以上の労働をすれば、2度目のビザ取得が可能である。さらにその2年目でも政府指定の職で指定期間以上の労働をすれば、3度目のビザ取得も可能なため、オーストラリアでは条件を満たし続ければ最大3年間ワーキングホリデーができる。そして、2,3度目のビザ取得につながる政府指定の職で最も一般的なのが、いわゆる「ファームジョブ」というやつである。ファームジョブは指定された地域で行われている農業であればなんでもよくて、果物や野菜の苗植え、収穫、箱詰め、畜産や酪農、観葉植物や花の世話まで、年中通して様々な仕事がある。2,3度目のビザを取得したいワーホリ滞在者と、労働力の足りないファームはどちらもとても多いため、この仕組みは国の政策として有意義だと思う。しかし、この仕組みを悪用して、ビザ取得を飾り文句に人を集め、安い賃金で過酷な労働を強いる悪徳なファームも存在するのも、よく知られた話である。
わたしと農業
私は、農作業が好きだ。なんなら大好きだ。思い返してみれば、幼稚園でハツカダイコンを育てたときも、小学校でチューリップやトマトやヒヤシンスを育てたときも、誰よりも熱心にお世話をしてたから、昔から土と生物に関することはずっと好きなんだと思う。大学生になってからは何度も北海道の農家さんにアルバイトでお邪魔している。往復3000円3時間、交通費は出ない、出発は始発の5時半起き、もちろん最低賃金、作業は体力勝負で帰る頃にはぐったりで、近くのファミレスでバイトした方がずっと楽に稼げるけど、それでも農家さんのところに行くのが好き。自然相手に仕事をするみなさんの器の大きさとか、休憩時間にチャリ20分爆速で買いに行くコンビニアイスとか、帰り道の夕焼けとか、作業中のつまみ食いとかがどうしようもなく幸せで、農家さんのところで働くのは、ああ私生きてる!を感じられる貴重な機会で、コンピュータの中に閉じ込められるような大学生活のオアシスだった。
だから、オーストラリアで2度目のワーホリビザを取るためには農業をやらないといけないと聞いたとき、なんてラッキーなんだと思った。3ヶ月間大好きな仕事をすれば、いつかオーストラリアに戻ってくる切符が手に入る。こんな美味しい話はないぞって、絶対ファームに行くんだって、渡豪する前から心に決めてた。ついに知り合いのツテでファーム仕事が決まったときは、めちゃめちゃ嬉しくて、すんごい楽しみにしていたのに、現実は正反対に壮絶だった。
Strawberry Farm 闇の1週間
たくさんできた友達にお別れをして、半年間住んだまちを離れて、渋滞に疲れながら車で北に4時間。ついに着いた新しいお家は、ファームが提供してくれているシェアハウス。愉快なハウスメイトに歓迎されて、楽しみもMAX。いつから働きたい?と聞かれたから、明日にでも!と即答し、翌日から始まった仕事が地獄だった。
朝は5時半作業開始。家を出るのは4時半。着いたら自分の作業員番号で呼ばれ、並ばされて、その日の作業が説明されて、可能な限り早く休みなく動くように、移動は走るようにと言われ作業開始。なんだこれ軍隊か。その月にやってたのはいちごの苗を植える作業で、最初に苗が300本とか入っている大きいビニール袋をもらう。植えた本数に応じて歩合制で給料が払われる仕組みなのだけど、持っている空の袋の数が、自分が植えた本数として数えられるから、気を抜いてると植え終わった袋はすぐ盗まれる。上の人は作業員の給料の公平性になんて興味ないから、袋が盗まれたとしたら自己責任で、給料はもちろん減る。だから全員が全員に警戒心丸出しで精神的にしんどい。仕事は13時近くまで続き、休憩なんてない。水を飲む暇もない。家に帰ったらシャワーを浴びて、全身痛む体で何もできないまま寝てまた翌日4時半に起きる。一日6時間〜7時間、休憩なしで肉体労働して、周りの人がもらえてた給料は平均$50、最低賃金の1/3以下だった。歩合制でも最賃を切るのはもちろん違法である。作業員は一日70人ぐらい。韓国人、タイ人、台湾人、日本人がほとんどで、5%ぐらいがその他。プラスで10人ぐらいいる作業監督はほとんどが韓国人で、韓国語で怒鳴り散らかしてきて何言ってるかわかんないし怖い。毎日植えた数のランキングが発表されて、順位が低いと上司にめちゃくちゃ脅される。シェアハウスがファーム管理だから、作業が遅い人は出勤日を減らされて、家賃だけ搾り取られていた。
さすがにおかしくないかと思い、周りに聞いてみると、おかしいとは思っても、ビザのために辞められない。英語ができないからここしか居場所がない。やめて仕事も家も無くなったらどうしようもない。そもそもこういうもんだと思ってる。そんな人ばかりだった。正確には、そんな「アジア人」ばかりだった。数人いたヨーロッパ人はみんな、おかしいからもうやめる、他のところで仕事探す、と言った。そりゃそうだ、こんな環境、理不尽には文句を言わずに耐える、が美徳のアジア人にしか続けられない。ビザを吊り下げて、語学も弱い、経験も浅い逃げ場のない人間を、安い賃金でひどい条件で奴隷のように働かせるファームの現実に、私は耐えられなかった。
初日で絶句、2日目で絶望、3日目にはやめようと思った。辞めると決めたら早い方がいい。1週間もたたないうちに、上司に伝えると、そんなに弱い人間だと思わなかった、知人に紹介されたから期待していたのに呆れたと、散々に罵倒されだあげく、明日の朝までに出ていけと、家を追い出された。車を持っていたのが幸い、そのまま荷物を全部詰めて私はファームジョブから逃げた。働いた分の給料は、もらえなかった。
ドキュメンタリーを生きて
こんな話を友達にしたら、ドキュメンタリー番組の話みたいだねって。確かにね。よくあるって知ってたけど、知ってるのと経験するのは全く別物だった。経験して、いかに自分が恵まれているかもよくわかった。あの環境をおかしいと判断できるだけのオーストラリアでの仕事経験と、上司と喧嘩ができるだけの英語力と、家と仕事が今無くなってもなんとかなると思えるだけの貯金と自信と、突然追い出されてもどこかに行ける車があった今でよかったと、心から思う。
そしてやっぱり私は、日本の農家さんが大好きだ。そんな方ばかりではないのかもしれないけど、私が出会った農家さんはみんな、30分に一回はちゃんと水飲んでねって声かけてくれて、体おかしいと思ったら休憩してねって、そんなに心配しなくて大丈夫だよってくらい作業員をちゃんと大事にしてくれて、帰りには袋いっぱいに規格外のお野菜持たせてくれる温かい方々だ。だから、日本の農業はやっぱり元気なままであって欲しいって思うんだ。
オーストラリアのファームも、素敵なところもいっぱいあるんだろうけど、ちょっとトラウマになっちゃったから2年目のビザは諦めて、私はもといた大好きなまちに戻ることにした。絶句した経験なんて伏線にしてしまおう。大好きなまちで大好きな人と幸せな生活をするのが、私のメインストーリーでなくちゃと思って。